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家原寺仁王門

ご本尊が文殊菩薩ということで、界隈では受験生が合格祈願にやってくることになっている。僕も10代の終わり頃来たことがある。来たことがあるのだけれど、なにぶんウン十年も昔のこと、周囲の様子があんまりに激変していて、今回最寄り駅との往路復路ともどもすっかり道に迷ってしまった。いやはや。

家原寺は、慶雲元年(704)に行基が建立したということになっている。自分の生まれた母親の実家を寺に改造したんだそうな。「家」を「原(もと)」にして作った「寺」ということで「家原寺」とか、「原」っぱにある自分の「家」を「寺」にしたから「家原寺」とかの命名に関する説がある*1

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仁王様その1

何かしら気迫に欠ける。

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仁王様その2

気迫に欠けるどころか、脅されて「おい、ちょっと待ってくれよぉ〜」と何かに気圧け おされているみたいな感じ。

仁王門そのものはずいぶん古いものらしいのだが、仁王様、本来寺にあったものは廃仏毀釈の折か何かにおフランスの美術商に売っ払うことになっちゃって、現在はワシントンのフリーア美術館に収蔵されているのだそうな*2。今ある仁王様は寺のサイトによると《明治時代に近郊の寺院より移設されたもの》なのだそうな。どこよ、その近郊の寺院ってぇ?

廃仏毀釈なんちゅうのは、ナショナリズムも頭の足りんヤツがやらかすとロクなもんにならんといういい例だよな*3。ったく。


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本堂文殊堂

3日の夕刻ともなるとなのかなぁ、それとも受験生減少のためなのかなぁ、すでに参拝客もまばらな感じ。駅からのアクセスも悪いしなぁ。うーん。おまけに途上にまともな道案内がほとんどないしぃ。

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文殊堂裏

天神様みたいな神社なら絵馬を、というところ、家原寺では合格祈願を書き込んだハンカチを貼り付けることに、今はなっている。

僕が10代の頃は、まだこういうふうではなく、白墨の類で建物に直接合格祈願を書き込むという荒っぽいやり方が主流だった。というわけで当時は家原寺といえば「落書き寺」ってことになっていたのだ。いつ頃今のようなのになったんだろうか。全然知らない。

しかし、この文殊堂、信長に焼かれた後、慶安元年(1648)に再建されたものという話だからそれなりに古いものなわけで、ホントよくもまぁ、直接の落書きが許されていたもんだな、と今になってビビる。文化財保護もヘッタクレもございませんでしたね。

しかし、ハンカチにしたところで、押しピンなりテープなりを貼り付けるには使うわけで、古い建材にいい影響があるとは思えない。大丈夫なんだろうか。

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境内参道脇には「百度石」もあるのだけれど、こんなところでお百度を踏まれても参拝客の迷惑になるばかり、というわけでなのかどうか、

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と、「おひゃくど祈願所」が別に設けられている。受験生が行基像のまわりをゾロゾログルグル回っている。傍観者的に眺めていると何となく笑いがこみ上げてきて申し訳ない。

おまいら、この時期、そんなところをグルグル回っている時間があったら……と思わないでもないけれど、そんな野暮なことをいちいち気にするようならこんなところにそもそも来ていやしないんだから、咎め立てしてはいけませんね。

グルグル回るといえば……。

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境内には、ネパールから寄贈されたマニ車(経車)なんかが割とぞんざいな感じで放置されている。ほれ、チベット仏教を紹介するテレビ番組なんかの定番、ぐるぐる回すと回したぶんお経を唱えたのと同じ功徳があるとかなんとかいう面倒臭くないヤツ。

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経を唱える手間を省く類の面倒嫌い由来のものだからといって、メンテも放り出しちゃうというのはいかんなぁ。案内板の字なんか、一部日焼け風化してとても読みにくくなっていたぞ、おい。

そんなこんなでとにかくアレコレ変わっていて驚いた。

変わらないのは手洗いかなぁ。男子小用のヤツなんて溝が切ってある壁に向かって事を致すという、もはや古代遺跡級のヤツ。いっそこのまま未来永劫保存して文化財指定でも待ちますかというようなシロモノ。いやはや、こういうのを目にするのはホントにひさしぶりだな。女子用もあるにはあるが男子手洗いと室の別け隔てがない。コイツは改めたほうがいいんぢゃないか。少なくとも若いカップルの参拝客は望めないぞ、現状では。受験生需要が確実に減少する時代、これはいかんでしょ。「日本三体文殊」だって威張ったって全国区では通用しないんだしさぁ*4

手洗いといえば、堺の公衆トイレがそもそも少ないという問題がある。何だか 「文化観光拠点整備へ 堺市、ゆかりの2人テーマ」(大阪日日新聞)*5、利休と晶子をネタにして堺観光を売り出しにかかろうと目論んでいるらしいが、利休や晶子の生家跡らへん、細かな史跡があるのはいいとして、観光としてこれを愉しむには、まず歩き回らないといけない。ところが界隈には公衆トイレがまーったくない。疎らな公園にはないわけではないが、疎らさ加減に合わせて尿意を催すように都合よく人体は出来ていない。せっかく出かけても、下の都合で不愉快を味わわせるような具合にしか街が出来ていないとすれば、下手にヒトを呼ぶのは街の評判を落とす元だ。観光課のヒトは、車でちょこちょこ史跡を回ってしかいないんぢゃないかぁ。実際に冬の寒い折に自分の足でしっかと歩いて現地を確かめるという手間を惜しんぢゃいかんでしょ。

江東区や墨田区を歩いていて、そういう類の不便の不愉快を味わう折は滅多にない。それどころか、一つ一つの公衆トイレの設計デザインにも工夫がある場合が多くて、それ自体を愉しみに眺めることも出来る。そういうのがないほうが、手洗い需要で喫茶店なりコンビニなりが儲けやすくなるんぢゃないかというようなセコイ考え方は廃すべし。これはマヂめに考えておくべきことだと思うなぁ*6。うーん。


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  • 注1cf. 『堺の歴史探索 地名あれこれ』(堺商工会議所)、p.18。他の説も出てる。/珍しくアマゾンには置いてなかった。こういうのはないのかぁ。うーん。堺商工会議所はこの手の小冊子を結構出していて、堺のあれこれを知るには非常に好都合。『地名あれこれ』は美原市の合併以前のだから、美原区についての記述がないのが残念なんだけれど、愉しく読めるものになっている。これを読むまで、織田作之助が北野田(実家のつい近所なのだ)に住んでいたことがあるなんて全然知らんかったしぃ。というわけで、こういうのはケチケチせずに全国区での流通を図るべきだよなぁ。ぶー。
  • 注2 ウィキpにそっちの金剛力士像の写真が出ている。cf. 「家原寺」(Wikipedia) はてなブックマーク - 家原寺 - Wikipedia。運慶快慶の「慶派仏師作」とのこと。しかしまぁ、小さい写真からでも今あるヤツと全然格が違うことがアリアリとわかっちゃうなぁ。
  • 注3 堺港が近代的な国際貿易港になりそこねたのも幕末の勤皇派連中のせいだって話もあるしなぁ。ぶー。
  • 注4 大阪では「日本三体文殊」と云えば、天橋立切戸文殊、奈良の阿倍の文殊と家原寺の文殊ってことになってるらしい。全国区では、 「日本三体文殊」(Google Searchの検索結果)の通り。
  • 注5 現在(2015年11月2日確認)リンク切れにつき、リンクを省略。
  • 注6 このへんについては、「本日の重要問題/堺の公衆トイレ」(別冊 日々の与太) はてなブックマーク - 別冊 日々の与太 » 本日の重要問題/堺の公衆トイレなども参照されたし。