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最終更新日時 : 2016-08-18 00:02:53  

畏友borujiayahatebuが、マイノリティ・フォーラム Forum on Minority Issues(FOMI)hatebuを立ち上げた。来る9月14日には「津久井やまゆり園」事件抗議集会hatebuを行うという。率直にいえば、そういう活動が似合う人物とは到底云えないように思うし、支援するゆとりが当方には今ない。もどかしい気持ちで見ているだけというのも気に入らない。というわけで、せめて、ここで彼の活動の立ち上げを告知しておく。閲覧諸賢中になら、彼の考えに共感し支援してやろうという方もいらっしゃることと思う。どうか手を貸してやっていただきたい。

彼のブログの日頃をご存知の方なら、彼がこういう活動とはほとんど無縁のところで生活を築いていることは先刻御承知のことだろう。そういう彼が身を乗り出すというのは、30年に及ぶつきあいの中で初めて目にする出来事だ。ヤムニヤマレヌということなのだろう。出来ればなにがしかの実りある活動になってくれればいいと思う。

ここに至る彼のエントリを以下に時系列順に並べておく。

上記以外の「borujiaya」hatebuのエントリをお読みいただければ、あれやこれやの党派的な面倒とは縁がないというあたり、ただちに御理解いただけるのではないかと思う。というか彼の書き込みの本領はそちらのほうだというのもおわかりいただけちゃうんぢゃないかなぁ。

問い合わせ、支援の申し出などは、マイノリティ・フォーラム (@borujiaya1) | Twitterhatebuを介するのが手っ取り早いと思う。書き込みを見ているとすでにして弱気発言も登場したりしているのがアレだけれど、相談にのってくれるヒトが現れるとありがたいところ、なのかな。

大方のご支援、賜れんことを。




最終更新日時 : 2017-04-13 00:32:20  

以下のエントリは、畏友borujiaya(borujiaya | http://www.p-renaissa.jp/borujiaya/ はてなブックマーク - borujiaya | http://www.p-renaissa.jp/borujiaya/)の書いたものである。執筆当時彼自身はブログを持たなかったため、旧「日々の与太」に彼の署名で公開した。今回はシステムの都合で当ブログ管理人の署名での公開となる。

なお、アーレント・オルガンのその後については、「カザルスホール、アーレント・オルガンの現状」(borujiaya) はてなブックマーク - カザルスホール、アーレント・オルガンの現状 | borujiayaが公開されている。併読をお薦めする。

(2015年2015年9月13日)


東京駿河台のカザルスホールは、音楽愛好者ならおそらく一度は足を運んだことがあろう、日本でも指折りのコンサート・ホールである。収容人員はわずか500名、国内発の室内楽専用ホールとして1987年に誕生したこのホールには、これまで国内外の一流の音楽家たちが招かれ、忘れがたい演奏を披露してきた。

そうした名演を支えたのが、このホール特有の透明でつややか、かつ温もりのある音響である。ホール内に張りめぐらされた木製のパネルに響きを染み込ませる設計によって残響を抑え、どの客席からでもクリアで繊細な音を耳にすることができる。ステージ両脇に張り出した二階席からは、聴衆はまるで手の届きそうなところに演奏家の姿を観るとともに、取れたての音を聴くことになる。こうしたコンセプトの小ホールは従来日本に存在せず、ここで演奏した音楽家たちの賞賛が広まるとともに、カザルスホールをお手本とした小ホールが日本各地に作られたほどである。

近代の東京を文化の面から支えてきた風格ある街、御茶ノ水のへそとも言うべき絶妙の位置に、通りを隔てた明治大学リバティ・タワーに代表される、最近の高層建築ラッシュに逆らってひそやかに立つ瀟洒なこのホールが、2010年3月31日を持ってその歴史を閉じようとしている。

リーマンショック後の景気後退、ハコモノから人へという現政権のスローガン、迫られる東京の再開発等々の条件下、さもありなんと肯かれる向きもあろうかと思うが、事はそう単純ではない。

というのは、カザルスホールはそれ自体一つの楽器だからである。

楽器というのは、このホールの明晰で暖かい響きを讃える比喩ではない。1997年にこのホールに設置された、現代を代表するオルガン制作者ユルゲン・アーレントのパイプオルガンが、カザルスホールを離れて存在しえないという事実を指しているのである。

室内楽専用ホールになぜパイプオルガンがあるのかといぶかる人のために、少なくとも三つの事柄を紹介する必要がある。一つはバロック期のオルガンの個性的な響きについて、二つ目はこの響きをを再現するために戦後のヨーロッパ人が払ってきた努力について、そして最後はバロック様式のオルガンを今に甦らせるために果たしたユルゲン・アーレントという名工の業績についてである。

日本でよく見かけるパイプオルガンという楽器に関するステレオタイプの一つは、華麗で荘厳、圧倒的な響きといった印象ではないだろうか。大聖堂の豊かな残響とともに聞かれる、キリスト教音楽文化の一つの典型。響き渡る金属質の高音とブガブガというラッパのような低音。オペラ座の怪人が夜な夜な即興でパッサカリアを奏でる楽器、等々。こうしたイメージは、当然繊細な耳を持った音楽好きを、この楽器から遠ざける契機ともなるだろう。

このようなステレオタイプの要因の一つは、19世紀ヨーロッパにおけるオルガン近代化にある。パイプオルガンの歴史は非常に古く、ルネッサンス音楽発祥の地イタリアの諸都市、ミラノ、ヴェネツィア、ボローニャ、フィレンツェ、シエナ、パドヴァなどには、すでに1400年代からパイプオルガンが存在していたという記録が残されている。16世紀から17世紀にかけて、イタリアだけでなく、イベリア半島、フランス、スイス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、オランダ、デンマーク、スカンディナビア半島、イギリス、ロシアなど、ヨーロッパ中にこの楽器は広がっていった。19世紀に入って、規格化された工業製品になってしまう以前のパイプオルガンは、響きの点でその地方特有の個性を持っていただけでなく、ルネッサンス、バロック期の音律(ミーントーンに代表される不均等音律)に従って調律されていた。中世以来、パイプオルガンが教会に設置されるものであり、教会の典礼と切り離せないことは事実だが、たとえば16~17世紀に制作されたイタリアのオルガンの中には片田舎のごく小さな教会のために作られたものも多く、幸いにも現存するそれらの響きを聴くと、素朴な村の人々の、少人数の歌のために設計された楽器であることがよくわかる。大伽藍に朗々と響き渡る音というイメージとはまったく別物である*1

今はオルガンの歴史を述べている場合ではないから、19世紀のオルガン近代化以前のオルガンの特性を簡単にまとめておく。第一に地域の人々の生活に根ざした歌謡性、響き、音律を持っていた(音律が平均律ではないことはもちろん、ピッチについても現代のA=440ヘルツと比べ、半音以上低いものから半音以上高いものまである)。もちろんバチカンのサン・ピエトロ大聖堂やミラノのドゥオーモなどの大オルガンのように、教会の権威を体現するため、はじめから圧倒的な響きを生み出すことを企図した楽器もあった。しかし、ルネッサンス、バロック期のオルガンのすべてが、同じ規模、同じ響き、同じ音律で規格化されていたということではまったくない。

第二に、当時のパイプオルガンは、多少とも名のある工人の設計の下、パイプ、共鳴管、送風機などすべてのパーツが職人の手で作られていた。これは当然と言えば当然だが、楽器を工房でなく工場で作るようになったのが19世紀以降だからである。メカニズムの複雑さから来る工程の多さと煩雑さ、制作に要する費用の高さなどを考慮すれば、安易に比較することはできないが、ルネッサンス、バロック期のパイプオルガンは、それを作った工人の名と不可分であるという点で、ストラディバリウス制作のヴァイオリン、リュッカース一族制作のチェンバロなどと同列に考えるべきである。言い換えれば、当時のオルガンについて、どこかのホールにスタンウェイのピアノを運んできたといった近代以降の発想で考えてはならないということだ。なぜならその楽器は、設計の唯一性という意味だけでなく、パーツの一つ一つがその楽器のために作られているという意味で、世界に一点しかないからである。

以上の二点だけからでも容易にわかっていただける通り、パイプオルガンをめぐる先述のステレオタイプは、近代以降のものである。カザルスホールのような室内楽専用の小ホールにバロック様式のオルガンを設置することは、バロック期のオルガン音楽を往時の響きで再現するために、むしろ不可欠な試みだったわけである。

では本家本元のヨーロッパの人々は、20世紀に入って19世紀のパイプオルガン近代化をどのように見たのだろうか。この点については、SEONレーベル制作による「ヨーロッパの歴史的オルガン」の日本語版ライナーノーツに、植田義子氏によるていねいな解説がある。その記事によって20世紀のオルガン修復の歴史を簡単に紐解こう*2。ヨーロッパで古楽器と古楽の再興運動がはじめて広がったのは1920年代だが、オルガンの分野ではそれより少し前、アルベルト・シュバイツァー(アフリカへの医療の普及で著名な医療者であり、オルガニストでもある)による「工業製品に堕落したロマンティック・オルガンと訣別して、ドイツの伝統的製造法を見直し、そこに立ち帰ろう」という提案の結果、音楽学者、オルガン制作者、オルガニスト等が結集し、長い間忘れられていた古いオルガンの再発見と、それらを手本としたバロック様式のオルガン制作が組織的に行われることになった。これは「ドイツ・オルガン運動」と呼ばれる。

この運動は、バロック期の様式を見直そうという理念の点ではたしかに評価すべき点もあるのだが、当時としてはまだ十分ではないデータから早急に行われたため、特に古いオルガン修復の過程で数々の誤りを犯すことになった。中でも最大の過ちはわざわざ20世紀流のA=440ヘルツのピッチと平均律に調律しなおすために、送風装置やアクション機構を作り変えてしまったことである。

実はこうした「ドイツ・オルガン運動」の過ちを正し、本来のバロック様式のオルガンをはじめて現代に甦らせた人こそが、ユルゲン・アーレントなのである。この間の事情については、前掲の植田義子氏の記述をそのまま引用させていただく。なお植田氏の記述を理解する前提として、1920年代以降、アーレントが登場するまでのオルガン修復では、パイプに送る風圧を低くすることが通例だったことを念頭に置いていただきたい(これは19世紀ロマン派のオルガンの風圧が非常に高かったことへの抵抗も手伝って、バロック時代の家庭用オルガンの低い風圧を参考に、1920年代以降のパイプオルガン修復が行われたことによる)。

たまたま、オランダ、フローニンゲンにある古い大きなオルガンが70mm以上100mmに達する高い風圧である事を知った北ドイツのオストフリースラントに住むユルゲン・アーレントは、1954年に、当時使用不可能になっていたヴェスターフーゼンの教会のオルガンを、この高風圧で修復してみると、どのパイプもはじめて立派に鳴った。この修理の際、当時としては異例の事だが、ピッチも調律法(ミーントーンであった)も、鍵盤の音域も(バス音域はショート・オクターブ)あるがままに手をつけずに、ただ「音が再びなる」ための最小の作業にとどめたら、これ迄の「オルガン運動」のやり方で修復された楽器と全くちがったひびきの楽器がそこに出現した。

(「ヨーロッパの歴史的オルガン第1集・アルプス地方のオルガン」ライナーノーツ(植田義子、1977年))

第二次大戦後、ヨーロッパにおけるオルガン修復運動は、こうして真のステージに入った。周知の通り、1950年代にはルネッサンス、バロック期の音楽を当時の調律と演奏法に忠実に、できる限り当時に近い楽器を用いて再現しようとする古楽復興運動が起こり、アーレントによる古いオルガンの修復とそれらを手本とするバロック様式のオルガン制作は、この運動と同期、共鳴して進行することになるのである。

アーレントが修復したパイプオルガンはヨーロッパ中に広がっているが、ざっと代表的なものをあげれば次の通りである。ハンブルクの聖ヤコビ教会(シュニットガー作の著名なオルガン)、マリーエンハーフェ(北ドイツ)の聖マリア教会、シュターデ(北ドイツ)の聖コスメ教会、リーズム(北ドイツ)の改革派教会、ヴァル・ヴェノスタ(北イタリア)のクールブルク城、アムステルダム旧教会、等々。(ちなみにこれらのオルガンの響きは、SEON、VIVARTEなどのレーベルに録音されたグスタフ・レオンハルトの傑出した演奏で聴くことができる)。

カザルスホールにアーレントのオルガンが設置されたことは、こうした20世紀の古楽再興運動との関連で言えば、まぎれもなく日本の音楽史上の事件であった。この3月23日にカザルスホールで記念講演を行う鈴木雅明氏率いるバッハ・コレギウム・ジャパンの活動に代表される通り、いまや日本の古楽演奏は一定の水準に達している。こうした現代日本の古楽運動の隆盛を支えてきた重要な支柱の一つがカザルスホールであり、このホールのアーレント・オルガンだった。

今回この小文を通して、一介の音楽愛好者に過ぎない私が、音楽関係者、オルガン制作者、新聞社、テレビ局、出版社、大学関係者、文部科学省、音楽文化に関心を寄せる企業をはじめとする関係各位に訴えたいことは、何よりもまずこの楽器が、おおげさでなく人類の共有資産であることを、より多くの人々に知ってもらうべく働きかける必要があるという点である。

などの記事によって、すでに事態の推移は報道されているが、この種の問題は幅広い世論を喚起するものではなく、少数の心ある人々による地道な問題解決への努力が不可欠である。

私は3月22日、椎名雄一郎氏のバッハ演奏をカザルスホールで聴いた。本当に優れた演奏だった。しかし、それだけでなく、このオルガンについていまさらのように驚かされたことがある。この日のプログラムはバッハのコラール編曲11曲、コラール・パルティータ1曲、幻想曲2曲、有名なマニフィカートによるフーガ、そして2曲の前奏曲とフーガを組み合わせた構成であった。「このプログラムの主役はコラール編曲」という椎名氏の考えで、テノールの石川洋人氏のコラール定旋律ソロに続いてオルガン演奏を行い、時にオルガン演奏中のコラール定旋律をテノールがいっしょに歌うという趣向である。石川氏の歌唱が見事だったということももちろんあるが、椎名氏が奏でるアーレント・オルガンは、テノール・ソロを圧することはまったくなく、対等に調和するのである。かと思えば、マニフィカート・フーガやハ長調の前奏曲とフーガでは、鮮烈きわまりない色彩感に富んだ音色を響かせる。しかしこれも大合唱でなく、マドリガーレのような少人数の歌を思わせる、柔らかく、にもかかわらず芯の通った響きである。この音を何としても絶やしてはならないと私は思った。

今WEB上で、カザルスホールのアーレント・オルガンの意義、アーレントの業績、バロック様式のパイプオルガンの個性的な響き、ヨーロッパの100年に渡るオルガン復興の経緯についてまとめて述べた日本語の論考は見当たらない。私のような素人がこうした文章を書くことはおこがましいのだが、少しでも多くの関係者にカザルスホールとアーレント・オルガンの今後について関心を持っていただき、事態の重大性について周知を図るよすがになればと愚考し、今回筆を執らせていただいた。先にあげた二つのWEB上の新聞記事によれば、日本大学の今後の対応は白紙であるという。

そうであるならば、今後の関係者の行動次第で、カザルスホールの保存と運営再開、それが難しいとしても日本大学と専門家によるオルガンの保守管理と定期的なコンサート開催といった善後策を取ることは可能だろう。そうした実りある議論の一つのたたき台としてこの小文を自由に活用していただくことを希望する。そういう用途を意識して書いた文章なので、この文章の再録、複製、抜粋等はすべてご自由に行っていただきたい。

  • 注1 今はSony Music Entertainment傘下に吸収されたSEONという古楽専門レーベルがある。おそらく廃盤かと思うが、1970年代、SEONが「ヨーロッパの歴史的オルガン」というシリーズを、現代を代表するチェンバリストでオルガニスト、グスタフ・レオンハルトの名演で出したことがある。北イタリアから北ドイツに至る16世紀から18世紀の名オルガン、ユルゲン・アーレントらの努力によって往時の響きと音律を取り戻した楽器を用い、全4集にまとめた貴重なアルバムである。その第2集「北イタリアのオルガン」を通して、ブレッシア、サン・ジョゼッペ教会のオルガン(1581年制作)、ブレッシア、サン・カルロ教会のオルガン(1636年制作)、カルピ、サン・ベルナルディーノ教会のオルガン(1669-70年制作)などの素晴らしい響きを聴くことができる。
  • 注2 「ヨーロッパの歴史的オルガン第1集・アルプス地方のオルガン」ライナーノーツ(植田義子、1977年)
  • 注3管理者註:現在リンク切れ。


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