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最終更新日時 : 2017-11-11 23:21:51  

店長の交代を高らかに歌い上げる、とでも云えばいいのかな、こういうポスターって初めて見た。いつぞやの「本日の埋草/超越と接客」hatebuと同じパチンコ屋さん。


店長交代を告知したからといってこちらに何の実害があるわけではない。だから毛を吹いての粗探しでもって文句をつけてやろうというような魂胆はない。ないのだけれど、どうしてこういう告知がポスターとして店先に登場するのか、それがわからない。顧客へのアピールにつなげるためには、新店長がいかに魅力的な運営方針を示し得る人物であるかが伝わってこそのことぢゃないのかしら。さもなければ、新店長が「超イケメン」と称されるような男前であるとか、実はやんごとなききわの御落胤との噂があるとかいったキャラクタそのものの魅力が必要だろう。

ところが、このポスターにはそういう内容がない。経歴・略歴、主義主張が書かれていないから、店長が換わったことで顧客にいかなる便益がもたらされるのかわからない。「今まで以上」といったところで、空疎な宣伝文句の紋切型を超えるものではない*1。顔写真すらないのだから、万が一店内で顔を合わせても挨拶のしようもない。ひょっとすると先代店長が地域統括部長とか何かの役職についちゃったので、新店長をあまり持ち上げるような宣伝を打つと先代をバカにしたような具合になり兼ねずいろいろ差し障りが生じるなどといった事情があるのだろうか。それとも、心理学的戦略か何かで、なんだか新しいぞという雰囲気を醸すだけで顧客を誘引する材料になるなんていう研究でもあったりしたのかしら。うーん、案外そういうところだったりするのかなぁ。

まぁ、これも考えてわかるようなことぢゃないですね。でも、伺ったからといってニコニコ答えていただけるような疑問でもないような気がするしなぁ。うーん。


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こういうシールって、なんとなく意味もなくあちらこちらに貼り付けてみたくなるからいけませんね。


  • 注1 あと、「顧客満足」ならば、「追及」ぢゃなくて「追究」ぢゃないですかね。


  

「本日の埋草/矢吹康健」hatebuで、龍神と栄橋に少しばかり触れて、そういえば……と出かけたのが栄橋町にある神明じんめい神社。以前、蘇鉄山登山^^;の折に登頂認定証をいただいた神社だ。写真は鳥居左手に並ぶ真新しい石玉垣。

龍神・栄橋界隈はさほど歩いたこともなくて、遊郭の面影を残す建物(跡)といえそうなものに思い当たる節がない。というかそもそもどのような特徴がその面影といえるのか知らない\(^o^)/。唯一思い浮かぶ痕跡が神明神社の石玉垣なのだ。といってももちろんこれほど新しいと何の跡もないのだけれど、石玉垣の並びを本殿のほうへ向かって辿ってゆくと、ちょうど時間を遡るような感じで、石に刻まれた文字の様子が変わってゆく。

寄進・勧進の歴史みたいなものはさっぱり知らないのだけれど、現金ばかりではなくて國債の類で行われることもあったとはね。金額も、正確な時期がわからないと雑な話になってしまうけれど、「帝國」なんてあるんだから戦前戦中、「壹百圓」「貳百圓」ってのは、そこそこそれなりの額なんぢゃないか。『「月給百円」のサラリーマン』なんていう戦前のことを扱った本もあるくらいから、ひと月分のお給金くらいはポンと気前よく出せるヒトたちの名前なのだろう。

というような話はさておき、さらに奥方向に進むと刻まれる名前に個人名がグッと減ってくる。代わって増えてくるのが「なんとか樓」。ただ店の名前が増えるだけなら堺のこと、地元有力者が商家であることに不思議はないけれど、こういう名称の偏り方は、この界隈の有力者の商売の偏りも示しているみたいに見える。

「樓」といえば妓楼、「郭」といえば遊郭、というような、いかにも素人臭い連想がどの程度正しいか、ちょっと自信がなかったのだけれど、ググって見るとこの場合はそれなりに正しいみたいだ。

堺の遊里といえば、まず北高洲町、南津守(乳守)。続いて寛政期あたりの堺港改修に伴って出来たのが龍神、栄橋という順序。何にしても1945年の大空襲と1958年売春防止法[ググる!]完全施行で一巻の終わり。もちろん、そこで一巻の終わりにならなかった遊里・色街も他所にはいろいろあるのかもしれないが、堺では残念ながらなのか幸いにもなのか、消滅したということのようだ。

豪商がいて遊里があってとなれば、仮に遊里そのものが消え失せても吉原のように後の世に語り継がれるような文化的な何かが過去生まれていても良さそうな気もするが、そこいらへん、不勉強で知らない。ひょっとするとそんなものはなかったのかもしれない。よくは知らないが今でも怪しい商売のほうは続いているらしい吉原でも、考えてみれば今では高尚な文化的アレコレで語られることはあまりないんぢゃないか。曾孫引きになっちゃうのだけれど……。

小山内薫は、この点を的確にこう述べている

江戸演劇の作者が好んで吉原を舞台にとつた理由は明白である。当時の吉原は色彩と音楽の中心だつた。花魁のしかけにも、客の小袖にも、新流行の奔放な色と模様とがあつた。清掻すががきの賑かさ、河東、薗八のしめやかさ。これは今日の吉原に見る事は出来ぬ。今日の吉原は拙悪なチヨオク画の花魁の肖像と、印半纏に深ゴムを穿いた角刈と、ヴイオリンで弾く『カチユシヤの唄』の流しとに堕してゐる。当時の吉原は実際社会の中心であつた。百万石の大名も江戸の名うての俠客も、武家拵への大賊も、みんなこゝへ集まるのであつた。それ故、劇中の人物に偶然な邂逅をさせるのに、こゝ程便利な場所はなかつたのである。併し今日の吉原をさういふ舞台に選むのは無理である。大門側のビィアホオルのイルミネエシヨンの下で、計らず出会ふ奥州訛りの私立角帽と農商務省へ願ひの筋があつて上京中のその伯父さんとである。裸の白壁に囲まれた、ステエシヨンの待合じみた西洋作りの応接間で、珈琲入角砂糖の溶かした奴を飲まされ、新モスの胴抜に後朝の背中をぶたれるのは、鳥打帽のがふひやくか、場末廻りの浪花節語りである。今日の吉原は到底 Romantic の舞台ではない。

(『世話狂言の研究』――久保田万太郎「続吉原附近」に引用)

エドワード・サイデンステッカー『東京 下町山の手』(ちくま文庫)、pp.230-1

むしろ逆に、江戸期文化の一つの華として吉原が存在し得たのが非常に特殊な出来事だったということになるのかもしれない。龍神・栄橋の遊里みたいなものは、そこいらへん、裏返しの傍証にはなるのかなぁ。うーん。と、書いてみれば当たり前にすぎることを今さらのように、まぁ。

神明神社

左側の石玉垣をたどると上の写真にあるアレコレが見られる。ちなみに現在、

とのこと。現在のサラリーマンの月給がいくらなのかは知らないけれど、どんなもんでしょうかね。というか今でもそれくらいかかるものなんだろうか。いずれにしても、僕の懐具合で何とかなるということばかりはなさそうだなぁ。う~ん。関心のある方は、問い合わせてご覧になってはいかがかしら。


参考文献、みたいな

東京 下町山の手 (ちくま学芸文庫)
エドワード サイデンステッカー
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僕が参照したのはこちらだけれど、現在なら『東京 下町山の手 1867-1923』(講談社学術文庫)のほうが入手しやすい。先行する単行本では原書から省略された部分も多いらしい。単行本もときおり古本屋で見かけるが、たぶん文庫版のほうがいい。




最終更新日時 : 2017-11-11 23:54:46  

中区界隈には、いろいろ変なもの珍しいものが鏤められている。だから、いつも周囲を見回しながら歩いているつもりなのだが、それでも同じような場所で、新しいというべきなのか古いといっていいものなのか、なにがしかの発見がある。


以前にも書いたことがあるような気がするが、界隈には社民党のポスターがまったく見当たらない。維新がもっとも多くて次がこころ。その後に公明、自民、共産というところか。民進のはとりあえずないわけではない程度。実際に厳密に数えたわけではないけれど、おおよそのところ。それだけに社会党の、こういうの、なんていうんだろう、ミニ・ホーロー看板御札みたいなヤツは目について良さそうなものなのだけれど、今回何度目かの道すがらでようやく気がつくというテイタラク。

社民党への改名が1996年。90年代あたりにこういうものを作るとすれば、ホーロー看板のちっちゃなヤツよりもプラスチックの札にするんぢゃないだろうか。当て推量としては、どんなに新しくても70年代後半よりこちらということはなさそうぢゃないか、ということで、70年代前半までのブツと見るが、はたしてどうか。


国会議員 (講談社現代新書 (770))
江田 五月
講談社
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「社会党」で思い出すことって、正直あんまりない。ヒトの名前にしたって、江田三郎[ググる!]成田三樹夫[ググる!]、ぢゃないやね、だれだっけ、あ、成田知巳[ググる!]くらい。佐々木とか石橋とかになるともう下の名前が思い出せない^^;土井たか子[ググる!]が社会党委員長のときに社民党になったんだったっけか。という程度。

で、江田五月[ググる!]は江田三郎の長男。レヴューを見ていると、国会議員なんて昔からロクなもんぢゃない云々という話が目につくけれど、この『国会議員』には自民党の人材育成システムみたいなものへの言及があって、こればかりは昔のこととしてもなかなか侮れないものだったように記憶している。昨今の二世三世議員ののさばり具合やら「魔の二回生」問題やらからすると、新人を育てるシステムは邪魔モノ扱いされるようになっちゃったといった変化くらいあったのかもなぁ。う~ん。



最終更新日時 : 2017-08-30 17:40:51  

先祖代々同じ土地に暮らしているのであれば、墓も先祖代々同じ穴の子々孫々、面倒を見るヤツらの面つきも似たり寄ったり、逃散なんぞという気の利いたことを仕出かすヤツが少々現れても、親類縁者が渋々面で面倒を見ないわけにはいかないから無縁仏も生じない。したがって無縁塔とは無縁の平坦な平和の暮らしがそこに淡々と続くことになる。

あるいは騒乱ばかりズルズルと続く時代。そこいらじゅうに屍が大量にごろごろ転がっているようでは、無縁仏にさえなり損ねたヤツらどもをまとめてぶち込む穴掘り作業を一手に担う厚徳の士もそうめったには現れない。たまに現れたとしても、一人や二人では間に合わない。戦での人死、旅の行倒れはだれにも拾われず無縁のまま、蛆、死出虫、鰹節虫、その他鳥獣の食欲に任せる他ない。したがって墓標とさえ縁のないアナーキーな世の中となる。無縁塔への需要はあり得ない。

面倒はそこそこの平和裡、土地への縛めが解けたとき始まる。そうとなればしめたもの、先祖代々の土地なんぞは売っ払い、ついでに先祖代々之墓のことなどぬかりなく忘れ、うっちゃらかって都会へとえっちらおっちら、そこで核家族と称する一家紛いを構えてみせたところで新たな先祖代々と化けるに至らず、不孝息子不孝娘は核分裂よろしく一家紛いを飛び出しアチラコチラに散らばって先祖の供養なんぞ何の役に立つのか、というわけで無縁仏の無限連鎖反応、墓は核分裂家族の一家に一つ、たちどころに墓地不足は都市に蔓延することになる。横に広げるわけにはゆかぬとなれば、縦方向に広げるしかない。かくして無縁塔の登場となる。

もしそういう変化が本邦で本当に盛大に起こったとすれば、それは明治近代以降ということになる。江戸その他大都市、あるいは無縁塔の親分のごとき無縁塚が存する高野山あたりは別途事情を考え直す必要があるかもしれないが、日本全国のこととしては大雑把なところ上記のような具合と見て間違いはない(なんてわけはなさそうだなぁ\(^o^)/)。


素人の思いつきなんぞは毎度当てにならないのだけれど、ちょっとググった範囲では無縁塔の起源はわからなかった。そんなものなんですかね。

無縁仏というだけであれば、墓石を隙間なくズラズラと並べた無縁墓地で済むように思える。それを縦方向にも並べるとなると、逼迫した土地の不足があったんぢゃないかとどうしても考えたくなる(ならないかなぁ)。墓地⇒無縁墓地⇒無縁塔のような歴史を想像すること自体はさほど不自然ではないだろう。

それとも、あれかな、昔々の大昔、エライ聖人、先賢は、ヒトの移動や死人の累積数の減り得ないことを考えて無縁仏の増加による墓地用地不足を予見し、無縁塔その他、そこいらへんのあれこれを構想し尽くしてああしなさい、こうしなさいといろいろ指図していでもしていたのかしら。そういう決まりみたいなものに従って、ごく当たり前のこととして無縁塔は作られるようになったのだとするなら、存外一般に向けた説明は残されていないなんてこともあるのかもしれない。というわけで、実は大聖人、さらなる無縁仏の増加も見越して無縁天空樹スカイツリーの構想も秘伝の経典には記しておった、なぁんてわけはなさそうだしなぁ\(^o^)/

これからの日本の人口減少のことを考えると、どうしたって無縁仏は増えることになる。墓地不足は解消するのかもしれないが、墓地不足が解消したからといって既存の墓を荒廃するに任せるわけにもいかない。となると、やはり誰も参りに来なくなった墓石を無縁塔へと積み上げることになるのだろうか。すっかり墓石がまばらになった大霊園の真ん中に、巨大なピラミッドと化した無縁塔のそびえ立つ姿が夕陽に映えわたる光景みたいなものを想像しないわけにはいかなくなってくる。う~ん。


というような与太はさておき、無縁塔についてアレコレググるうちに気になったことを一つ。五輪塔の類と地蔵との関係ってどうなっているんだろう。たとえば、「高野山 無縁塚」(Google Images Search)hatebuにあがった写真を眺めてみると、上の写真同様、地蔵が斜面の一部に並んでいるばかりではなく、五輪塔(かな?)も地蔵と同じように赤い前掛け*1が着せられて並んでいるのがわかる。地蔵と五輪塔って、互換性みたいなのがあるのかしら。

「本日のお地蔵さま/DIY」hatebuでは、石塔の形に赤い前かけと頭巾をつけて地蔵の形に見立てているものと思い込んで書いたのだけれど、ひょっとするとそうではなくて石塔とお地蔵様の関係がそもそも……ということだったのかもしれない。そこいらへん、気にもなるけれど、民間信仰みたいなものもいろいろ絡んでいそうなお地蔵様のことだから、話はきっと込み入っていそうだよなぁ。

無縁塔の起源同様、このへんは図書館案件ですかね。


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自分のことととして考えると、墓はいらんなぁ。葬式もお別れの会も。この世のお邪魔にならぬよう、焼いた後は西除川でも大和川でも大阪湾でも、こだわりのある場所もないから、テケトーなところに散骨してお仕舞い。そういうのがいいな。


  • 注1 正式には何と呼ぶのかしら?

最終更新日時 : 2017-08-28 23:22:36  

「ほっこり」を冠した店が大阪にはすでに結構な数存在している(cf. ほっこり 大阪[ググる!])。喰物屋が多いのかな。そもそも「ほっこり」とは、大体において物の暖かい状態、心温まる様子を表す言葉であるだろう*1。できたてのホヤホヤというわけだ。できたてのホヤホヤとは、常識的には喰物屋には相応しくあってもリサイクルとは縁の薄いもの。そこに「亭」をつけると、今度は「ほっかほっか亭」へと連想は飛んでしまう。やはり喰物屋の方面ということになる。

こういうネーミング、たぶん創業者さんに何か捨て難い思い入れみたいなものがあったに違いない。でも、一体どんな思い入れだったんだろう。ちょっと想像がつかない。


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  • 注1 関西一部地域では、「ほっこりした」といった形で「ちょいとくたびれちゃった」というような意味で用いることがある。京都あたりかな。少々くたびれた品ということであれば、ひょっとするとリサイクル品に似つかわしいのかもしれない。でも、その意味をみんなが知っていたとして、店の好イメージを醸すネーミングに使えるものなのかどうか。

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