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最終更新日時 : 2017-08-21 02:59:40  

「ほっこり」を冠した店が大阪にはすでに結構な数存在している(cf. ほっこり 大阪[ググる!])。喰物物屋が多いのかな。そもそも「ほっこり」とは、大体において物の暖かい状態、心温まる様子を表す言葉であるだろう*1。できたてのホヤホヤというわけだ。できたてのホヤホヤとは、常識的には喰物屋には相応しくあってもリサイクルとは縁の薄いもの。そこに「亭」をつけると、今度は「ほっかほっか亭」へと連想は飛んでしまう。やはり喰物屋の方面ということになる。

こういうネーミング、たぶん創業者さんに何か捨て難い思い入れみたいなものがあったに違いない。でも、一体どんな思い入れだったんだろう。ちょっと想像がつかない。


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  • 注1 関西一部地域では、「ほっこりした」といった形で「ちょいとくたびれちゃった」というような意味で用いることがある。京都あたりかな。少々くたびれた品ということであれば、ひょっとするとリサイクル品に似つかわしいのかもしれない。でも、その意味をみんなが知っていたとして、店の好イメージを醸すネーミングに使えるものなのかどうか。


  

国道310号線沿い、赤畑あたりかなぁ。「休業」に朱の斜線を入れて意味を打ち消しているようにも見え、斜線に「休業」を上書きして無意味への打ち消しを意味で打ち消しているように見えなくもなくて、けれど、周辺の状態からするかぎり、看板の意味はさておき、これはやはり廃業なんだろうな。

本当に休業であるなら、お得意様への挨拶の貼り紙くらいあってよさそうだし、来る復活の日に備えて店舗周りの草刈りくらいするんぢゃないだろうか。そういうものがない「休業」とは、雑誌の「休刊」と称する廃刊みたいなもの、とどのつまりは廃業の婉曲表現にすぎない。

なんて書いたけれど、ホントに休業だとしたら失礼極まる話ってことになっちゃうな。でも、やはり草刈りくらいたまにはしておかないと、この店だけではなく界隈の凋落さえ感じさせる雰囲気を醸しちゃうんぢゃないか。少なくとも通りすがりの目にはそう映ってしまう。というのは余計なお世話か。


というようなことをうだうだ考えてみもするのだけれど、それ以上に気になるのは、光景をパッと目にした瞬間にこちらを捉えるところがあって、そういうアレって何なんだろう、どうせロクなシロモノにならないとわかっていても写真に収めずにはいられない気分が湧いてくるというあたり、さらに考えなくてもいいようなアレコレを思い悩んでしまうから、所用に遅刻してしまうのだな\(^o^)/


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最終更新日時 : 2017-08-20 23:23:07  

掲示板から、ふと呼び止められるような感触があって、立ち止まる。

斜めに書かれた文字列では、パッと見、縦書きなのか横書きなのかわからない。自分が「矢吹」姓であったりすると《「矢吹康健」って誰ですかいな?》というようなことを考え込んでしまったりするぢゃないか。ここはやはり、左側を高く、右側を低くすることで、縦書きだろうが横書きだろうが誤りなく読まれるように文字を布置すべきだろう。

と思うのは素人の浅はかさ、実はそこいらへん読み違えから生じる話題性を狙ったデザインであるのかもしれない、と思ったり思わなかったり。

というか、矢吹姓の持ち主ででもなければ、そもそも読み間違えたりしないのかもしれんなぁ\(^o^)/


ついでながら、会場に隣接するという「熊野小学校」の「熊野」、ちゃんと読めるヒト、どれくらいいらっしゃるかしら。熊野小学校は、1871年創立、堺市内でも歴史を誇る小学校。熊野小学校ホームページhatebuを覗くと、「くまっ子学級」というようなメニューもあるし、他地方の方だと「吉野熊野」なんかにも連想が飛んで、能の愛好者さんででもなければ*1、ここはどうしたって「くまのしょうがっこう」と読みたくなっちゃうんぢゃないだろうか。

ところがどっこいあにはからんや、小学校の「熊野」は「ゆや」と読む。どうしてそうなったのかは実はよくわからない。堺市のサイトにある「地名あれこれ 堺市堺区」hatebuによれば、

熊野をクマノと読むかユヤと読むか種々論議が分かれていますが、もとは湯屋町となっていました。それが、明治5年(1872年)の町名改正の時に、熊野町となりました。字だけ変えたのか呼び名も改めたのか明らかではなく、両方使われています。昔は、湯屋が多く並んでいたところから湯屋町の地名になったと言われていますが、一説には、天神の境内において風呂を炊きだして一般の人々に施したところから、この名がついたとも言われています。

とのこと。なんだかいい加減な話である。実際、この界隈を「熊野町西/熊野町東」と記すのだけれど、行政的には「くまのちょうにし」「くまのちょうひがし」と呼ぶ。湯屋には湯女ゆながつきもので、そこいらへんのアレコレをモニョモニョしようということで、湯屋を熊野と置き換えて、さらに「くまの」と読ませたのかしらとも想像する*2。堺の代表的な遊郭だった龍神、栄橋もそう遠くないし……しかぁし、もしそんな事情であればわざわざ小学校に「ゆや」の読みを残すはずはないだろうしなぁ。まぁ、素人がアレコレ考えたってわかんないですね。う~ん。わかるのは当時のお役人さんも、昨今の官僚さんやら政治屋さんやらと同じく、記録を放擲したり記憶をなくしたりしちゃうヒトたちだったということですかね(違、\(^o^)/

堺市立熊野ゆや小学校

大小路に面しているので、堺東駅から堺駅に向かって素直に歩いてゆけば右手に見えてくる。小学校、大昔の面影はないけれど立派だし大小路に架かっている小学校前の歩道橋もなかなか。堺のハズレの僕の出身小学校とは今も昔も大違いであるってことばかりは間違いないのだな\(^o^)/


参考文献、みたいな

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  • 注1 「吾輩は猫である」の作中、珍野苦沙弥が「後架先生」とご近所から呼ばれるようになった所以の謡が、直接そうとは書かれていないのだけれど「熊野」だったりする。/「猫」への言及はないけれど、「熊野 (能)」(Wikipedia)hatebuなど参照されたし。
  • 注2 上に引用したページの出典である堺商工会議所刊『地名あれこれ』にはさらに続く記述があって、その末尾には《熊野の字に改められた理由は、熊野権現へまいる熊野街道からと考えられます。熊野町の南が大小路の通りで、江戸時代は南郷と北郷の境になっていました。当地は竹内街道や長尾街道・西高野街道へ出る要所であり、更に南北の交通では熊野街道・紀州街道があり、堺の町の中心地であったことが理解されます》(p.44)とある。いずれにしても、なんでわざわざ文字を置き換えることになったのかはわかんないなぁ。さらに堺の公式ページ「地名の由来が知りたいんだけど?」(堺市)hatebuでは、「熊野町(くまのちょう)」の地名の由来として、《明治5年に当地にあった、熊野神社にちなみ「熊野」に改字し、読みも次第に「くまの」に変わりましたが、小学校などに「ゆや」の読みが残っています》と書かれている。あっちとこっちぢゃエラい違いませんかね。もいっちょ、「堺市立熊野小学校」(Wikipedia)hatebu「備考」によると、「地名の由来が知りたいんだけど?」に登場する熊野神社の社名も「ゆや」と呼ばれていた旨の記述が出て来る\(^o^)/

最終更新日時 : 2017-05-20 18:31:18  

「超越的接客」というようなものを妄想しようとしてみるのだけれど、なかなかむずかしい。接客となると「経験的接客」くらいのほうが良いのではないか。


ちょっと前には、『Transcendence』hatebuなんちゅう何となく趣味の悪そうな映画もあったし*1、今仕事で取り組んでいる問題のやけに脇の甘い課題文にも「超越」が顔を出すし、面倒な話をし始めると3分に一度は「超越」を口にせずには済まない*2呑兵衛さんもそういえば信濃路にはいらしたし……そんなこんなの「経験」からすると、やっぱり接客には「超越」は向いていないのではないかという気がする。


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一体どんな邦題がつくんだろうと思っていたら、まんまのカタカナ英語ですか。

アマゾンで「超越」を検索してみると、カント先生は超越というより超越論、傍に置くとしても結構な数の新商品の類に出喰わす。やっぱり最近は「超越」が静かなブームを呼んでいたりするんぢゃないだろうか。「超越」が表に顔を出さないカードゲーム商品がむやみに数多いんだけれど、どうなってるんだか。


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本エントリとは関係ないけれど、これは買わずばなるまい。

例によって近所の書店に見当たらず。大和川を超えて買いに出かけるか、アマゾンで注文するか。只今思案中。


  • 注1 見てないまんま予断でモノを申しております。相済みませんm(_ _)m
  • 注2 多少の誇張、なきにしもあらず。でもまぁ、誇張は「多少」の範囲に収まっていると思う。

最終更新日時 : 2017-02-16 21:46:17  

ロケーションは百貨店内の手洗い。「百貨店では生まれて初めて」と書いたけれど、百貨店でなくても初めてぢゃないかな。「(注射針等)」と強調までされているということはやはり注射針が捨てられていたということなんだろうか。

同じ階には眼科医が入っているのだけれど、眼科で注射なんてそうそうしないものぢゃないかしら。もし眼科が怪しいとすれば、たぶんこんな貼り紙にはしないで直に苦情を伝えるだろうし。だから下手人が眼科であるとは考えにくい。

となると、百貨店のあまり人目につかない場所での注射針というあたり、想像の飛ぶ方向は限られるだろう。もし想像が当たっているなら、貼り紙よりも通報のほうが市民社会的には正しい対処ではないかという気もする。とすれば、想像はハズレているということになるんだろうか。それとも、官憲が店内に入って捕物を繰り広げるなんぞという事態になれば、店の印象を損ねる報道など行われる危険があるから、そのへんを考えて苦渋の選択としてこの貼り紙になったということなんだろうか。

まぁ、素人が憶測を巡らしたところで、わかるわけないですわね\(^o^)/


「注射針」で検索したらば、ゾロゾロ商品が出て来て焦っちゃった。考えてみれば、注射器は医療器具とは限らない。細かな工作に必須の工具でもあったわけだ^^;。しかし、これ、日本語変だよね。「ご使われてます」って何よ。



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