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最終更新日時 : 2015-07-07 17:39:28  
20131028074305

今朝見た夢。

例によってその直前までの記憶はない。

ヒトの気配がしない大きな駅のホール。明かり取りの半透明な素材で出来た天井が大きく広がっている。自動販売機にスイカを差し込んで、しかじかのボタンを押す。さて、切符が出て来たと思ったその瞬間、ヒトビトがどこからかいっせいに押しかけて来て揉みくちゃにされ自販機から出たはずの切符が見当たらなくなってしまった。自販機の前やホールの床には、なにか判読出来ない文字や数字らしきものがプリントされた、切符用というにはいくらか大き過ぎる紙片が大量に散らかっているばかり。

やれやれ、と、どういうわけか自分の手に戻っているカードを携えて駅員がいるはずの窓口へ。しかし、先程まで見えていたと思った駅員はおらず、ガラスが張られていた窓口は木板で閉ざされていた。そして、その木板の中程より少し下のところにスイカがちょうど入るくらいのスリットがあって、そのすぐ上に赤いランプが点滅している。なぜそんなことをしたのか、今となっては理解出来ないのだが、そのスリットにスイカを挿入してしまう。

何も起こらない。

仕方がないので着ていたカメラマンジャケットのポケットからもう1枚スイカを出して——あれ? 僕は何枚スイカを持っていたのだろう? ——、さらにスリットに挿入する。しかし、何も起こらない。仕方なしにまたジャケットの別のポケットから1枚出して挿入、やはり何も起こらない。仕方なしにまたまた別のポケットから1枚……もういい加減こんなことは止めて、さっさと出かけるべきところに出かけるべきだ、スイカなら直接改札を通ればいいのだから、と思うのだが、手が止まらなくなってしまう。そもそも自分はどこへ何しに出かけるつもりだったのかもよくわからないまま、ただひたすら、何枚も何枚も延々とカードをスリットに挿入し続けるばかりになってしまうのだった。


それから後の記憶はない。

目覚めてからこのかた、ずっとゲップが止まらない。呑気症というやつのせいだろうか。何となく僕の潜在意識の中のどこか、相変わらず木板のスリットにスイカを挿入し続けている自分がいるみたいな感じがして、気持ち悪い。

こういうタイプの夢はめずらしいような気がする。どのみち夢のことなどちゃんと覚えているわけではないから、実は何度も同じような夢を見て来たのかも知れないのだけれど。あの駅のホールは上野駅か何かがモデルになっていたんだろうか、あの木板は……と思い当たる節をあれこれ考えつきもするのだけれど、なぜ今になってそんなものが頭に浮かんで来なければならないのか、まぁわからない。わかったからといって別にいいことがあるわけでもなさそうだし。それよりは、どうにかしてゲップが止められないものか。はてさて。


参考文献、みたいな


そういえば、最近はくまモンをめぐる報道を見かけなくなったな。かわりに出張って来たのがふなっしーか。




  
20120917003531

昨朝見た夢の一場面。例によって前後のことはよく覚えていない。


天王寺動物園近くの広場だろうか、ヒトダカリが出来ている。何かと思って近づいてみるとポル・ポトと毛沢東が将棋を指している。周囲を囲むヒトたちは、何かを囁き合っているような気配を立てているのだが、言葉は聞き取れない。何をどう考えてのことなのかはわからないのだが、二人に話しかけてみたような気がする。結構長い返事が二人から返って来たような気もするのだが、その中身はまったく覚えていない。けれど、何かヤバイな、ヤバイなという気分ばかりは躰にべっとりとこびりついていて、昨日はずっと気持ち悪かった。

そういえば、分厚い将棋盤の脇には、

The learned are apt to despise the ignorant.

(学のある連中は無学なヒトビトをすぐ馬鹿にしちゃうんだよね)

と、英語の参考書にでも登場して来そうな文言が記されていたような気もする。形容詞に定冠詞の「the」がついて名詞化するとか何とか。しかしなぁ、なんだかこの二人をめぐるアレコレに変につきづきしくて厭な文句だと思ったのだ、たしか。


それだけの場面なのだけれど、記憶にあるかぎりこの手のコンビが夢に登場して来たのは初めて。まず僕の夢に登場するようなタイプのヒトたちではない。奇妙なもんだ。こういう奇妙な夢を見ると、「夢のお告げ」みたいなことをついうっかり考え込んでしまいたくなったりしないでもない。


関係ないのだけれど、

……そもそも、クメール・ルージュの指導者のポル・ポトはマラルメやランボーを読み解く仏文学の教授だったし、センデロ・ルミノソの指導者のアビマエル・グスマンはカントの空間論について博士論文を書いた哲学の教授だったんですから(笑)。

 Les yeux clos: 果たして「シェアすることは歓びを増す」だろうか はてなブックマーク -  Les yeux clos: 果たして「シェアすることは歓びを増す」だろうか

と、ポル・ポトがマラルメの研究者だったというような類の話をネットでは見かける。ググってみると(cf. ポル・ポト マラルメ[ググる!])そのへん、すぐに確認できる。以前には僕もなんとなく信じていて、ひょっとして「与太」だかtwitterだかに書き込んだことがあるような気がする。けれど、どこで最初にその話を読んだのか聞いたのか、どうにも思い出せない。ということはつまり怪しい話ぢゃないか。

ウィキpを見ると、

……奨学金で、パリへ留学。エコール・フランセーズ・デ・ラディオ・エレクトリシテで2年間の技術コースを受ける。フランスには1949年9月に到着した。留学中にポル・ポトは共産主義者になり、新生のクメール共産主義グループに参加した。……(大幅に中略)

ポル・ポトは試験に3年連続失敗し奨学金を打ち切られたため1952年12月に船でフランスを後にし、1953年1月14日にカンボジアに到着した。ポル・ポトは、チャムロン・ヴィチェア(Chamroeun Vichea)私立高校で歴史の教師として働き始める一方、民主党で活動を行っていた。……(略)……しかし、パリ帰りのインテリでありながら政治教育、イデオロギー教育を受けられず、幹部やリーダーとして昇進できなかったことに深い恨みを抱いたようである。(以下略)

「ポル・ポト」(Wikipedia) はてなブックマーク - ポル・ポト - Wikipedia

といった具合で、おフランスざんすに関わるのアレコレはあるものの、文学や詩への関わりは確認できない。英語版 はてなブックマーク - Pol Pot - Wikipedia, the free encyclopediaでも同じような具合だった。もちろん、ウィキpの記述がどこまで信用できるかどうかというアレもありはするけれど、ネットに見られるマラルメの研究者だったとする類の話、まぁ個人的に研究していたってくらいのことならないとまでは断言しにくい話ではあるけれど、《マラルメやランボーを読み解く仏文学の教授だった》というあたり、かなり怪しいのではないかしら。

マラルメとなると難解を以て鳴らす面倒臭いヤツ、その論者さんにしたっておブランショ、デリダにテル・ケルと、さらに七面倒臭い筋の固有名詞が頭に浮かぶ。そういう代物の研究者が反知性主義で虐殺独裁者となると、現実としてはさておき、お話としては、そこはかとなくニヒルな雰囲気も漂って興味津々いささかおもしろ過ぎるくらいのものなんだけれど、うーん、どうもそういう具合に世界は出来ていないみたい。だって、これくらいおもしろい取り合わせが本当に存在しているなら、伝奇ぢゃないや、伝記的研究では大々的にクローズアップされていそうぢゃないかしら。そうなれば、ウィキpにだって当然なにがしかの記述は現れて良さそうな気がしないかしら。結局、《試験に3年連続失敗し奨学金を打ち切られ》るようなタマがよく扱い得るもんぢゃぁございませんという身も蓋もないお話に逢着することになりそうだ。

これだから現実はツマラナイというと今回は不謹慎か、まぁ現実は頭の先から尾っぽの先まで現実なのですね。いやはや。


お金持ちがお金持ちであることをイバるネタにすれば嫌われる。そこいらへんの話は世間様に通じがいい。でも、オツムの回転具合がいいヒトがオツムの回転具合をネタにイバると嫌われるということは、言葉としてはさておき、実際的にはあんまり通じがよろしくない。そこいらへん、気をつけないと反知性主義なんちゅうもんはいつどこでも跋扈することになる。

知識とか知恵とかいったものにもお金と似ているところがある。たんまり身につけているヒトたちはそうでないヒトたちを見下す傾向があるというのは、夢の中の英文通り学の有無にも当てはまる。でも、たんまり身につけるに至ったプロセスは、お金も知恵もしばしば当人たちが思い込んでいるほど当人の努力の賜物っていうものでもない。生まれた時代と場所、あるいは出会ったヒト、あるいははたまた生まれつき親が金持ちだったとか頭が良かったとか、要するにアレコレ偶然に恵まれた運の賜物だということのほうがずっと多い。というか根本的にはそれに支配されている。そこいらへんをわきまえないまんまエバっておれば、そりゃぁいろいろ悶着が起こるだろう。

貧困に喘ぐヒトたちは、騒動を起こしたり革命を望んだりする、あるいは、政治的翼の左右を問わずそういうことを仕出かそうとするヒトに扇動されやすくなる。それと同じように、頭の良いヒトたちがむやみにエバる環境に暮らしていると、別に持っている知恵をお金みたいに毟り取られるってわけぢゃないけれど、いろいろ腹の膨れる思いみたいなものを抱え込むことはあって、ついつい不穏なことを考えるヒトたちが出て来るというのもかなりの程度仕方がない、というか至って当然のことなのかもしれない。困ったことだとは思うけれど、そこいらへん、エバっているヒトがまずあれこれ考え直してくれないとどうしようもない。お金と違ってホイホイ再分配ってわけにもいかない。というかお金の再配分だってなかなかうまくいっているとは思えないもんなぁ( ゚д゚)クレ

とかなんとか、オツムの足りないアテクシが考えても仕方ない。夢のお告げなんぞはやっぱり根本的にアテになりやしないのですね。いやはや、やれやれ。

と、そんなこんなで、オツムが足りてあり余っている方はせいぜい考えてやってくださいましな。


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他人様ヒトサマが指しているのを眺めているのは嫌いぢゃない。天王寺駅から天王寺動物園に至る一画にある広場では、たまに実際にのんびり将棋を指しているおっさんたちを見かけることがある。ああいうの、眺めているのは好きだなぁ。将棋のことはなーにも知らない、駒の動かし方すらちゃんと覚えていないのだけれど\(^o^)/

ところで「穴熊」って何?




最終更新日時 : 2015-06-19 10:18:02  
20150102124829

古い木造の、たぶん小学校か何かの廊下に立っていた。それ以前のことはよくわからない。だれかと話をしていて、何かの急用が入ることになる。

どこをどう歩いたのかわからないけれど、いつの間にか一人、やはり古い、しかし今度はコンクリートの建物の中。

広い部屋、壁は所謂「打ちっ放し」、床は土が剥き出しになっている。その中に薄緑にペイントされたいくつもの木製の長椅子が、4列平行に部屋いっぱいに並んでいて、ところどころにヒトビトが固まって腰をかけ、小声で話を交わしている。

そうだ、「急用」とはこの中からだれかを探して、何かを伝えることだったのだ。しかし、だれに何を伝えるべきなのかがさっぱり思い出せない。まぁ、面倒臭いがここにいる一人一人に当たっていって何かを伝えるべき当の本人に出喰わせばそんなことなど思い出せるだろう。そう考えて、部屋の隅から順番に声をかけてゆくのだが、出喰わすだれもが見知らぬヒトばかり。中にはキリコの絵に出て来る塑像みたいに顔がないヤツまでいる。

これは困ったな、とふと顔を上げてみると長椅子の並び方が先ほどとは変わってしまっているではないか。部屋を「田」の字状に4分割した右上と左下の長椅子がそれまでの並びとは直角に向きを変えている。ヒトビトの居場所も何だか先ほどとは異なってしまっている。こんな具合では、何かを伝えるどころか伝えるべき相手も見出しようがないではないか。

見れば、長椅子はさらに回転しようとしているのみならず、「田」の字の4つの四角形がパズルのように移動し始め、ますますヒトの位置関係は渾沌としてくる。

——いい加減にしてくれ!」

と自分で上げた声で目が覚めた。まだ午前4時を過ぎたところだった。


例によって例のごとく、基本的に僕の夢のストーリー展開(と呼べるかどうか、それっぽい何か)は、だいたいパタンが決まっていて面白みに欠ける。

おまけに、部屋の広がりと形が固定したままでは、部屋いっぱいに並んでいる長椅子を回転させて向きを変えることなど物理的には出来ないはずである。いかに夢であるとはいえ、そのへんへの無意識的配慮に欠けるとは情けない。もう少し理性的な夢を見たいものである。


「与太」で一度触れたことだが、そもそも実際に見ている夢は断片的なものなのだという研究があるのだそうだ。目が覚めてから脳が勝手にそういう断片を継ぎ接ぎしてお話を構成する。とするなら、夢の記述はそれをなす者の物語的才能に応じてストーリーを獲得するということになるのだろう。

ということはつまり、毎度変わらぬお話の展開には、いやはや、やれやれ、と己が物語的才能のなさを嘆くしかないんだろうな。うーん。


想像していたよりお値の張るものなのね。


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おもしろそうだけれど、たっかいなぁ。うー。



10/08/26: 白黒テレビ

最終更新日時 : 2017-05-10 16:20:05  
2010年8月広尾

2010年8月、広尾

昼、うつらうつらと見た夢の断片。

たぶん、子供時代の茶の間の白黒TV受像機。チャンネルのつまみとヴォリュームのつまみの出っ張りと凹凸が目にやけにありありと感じられる。画面には「しばらくお待ちください」という言葉とともに、女性が一輪の花を持った画像が映っている。

その画面からなのか、それとも背後からなのか、ざわざわとヒトが言葉を交し合う小声が聞こえてくる。あぁ、その何人ものヒトの声の中に、間違いなく*****の少し高い声が混じっているのがわかる。どんな言葉を口にしているのかはわからない。でも、声のタイミングに注意していると、どうも誰かと言葉を交わしているのではなく、独りで何かを喋っているのではないだろうか。一体何を話しているのか、聴き取りたい、聴き取りたい、いやこれは是非にも聴き取らなければならない言葉なのだという確信が湧いてくるのだが、耳を澄まそうとするその都度、ドドドッと機械音が響いて邪魔をする。――あ、お、い、あ、お、あ。あ、お、い、あ、お、あ」と母音は何となく聞こえてくるようなのだが、子音が聴き取れない。もうほんの少し大きな声で話してくれれば、あるいはいっそ振り返れば、ヒトたちの輪の中に自分も入れるのではと感じもするのだが、声は小声のまま、自分の躰もピクリとも動かない。あぁ、もう少し、もうほんの少し大きな声で……。


ヘリコプターの爆音で目が覚めた。とてつもなく悲しい気分がずるずると躰にまとわりついて、不愉快だった。


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