«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 148 | 149 | 150 || Next»
最終更新日時 : 2017-06-02 23:06:19  

と、空気の冷たさを感じていられたのはこの日の夜までかな。梅雨入りもそうは遠い話でもなさそうだし。

いや、今夜は今夜でまた涼しいか。

季節の変化は当たり前のことながら一貫した漸進的なものではなく、たいてい凸凹した変化なのだな、というようなことを毎年感じ直すというオマヌケの繰り返しがあり、ここのところはそれに加えて気候変動だかなんだかの凸凹具合、こちらの備えと季節変わりゆきが都合よく重なることは滅多にない。そこいらへんが寒暖の過ごし辛さの印象につながるのか、とも考えるのだけれども、いやまぁ、やっぱり歳のせいかな。

放り出しておいて問題がなさそうなのは電話線かな。イマドキ固定電話にどれほどの需要があるのかわかんないけれど。

首を吊るにはいささか強度に不安があるし、

と、高さの問題もある。いや、別にリアルに首を吊ることなど考えていやしませんが(^_^;)

こうゾンザイに丸められているということは、たぶん近々にご近所で新たな電話線なり電線なりが伸ばされる場所が出来るということなんだろう。でも、空地の類は今のところ見当たらない。ということは、新たに空地が作られることになるということなんだろうか。


「容疑者追跡のお手柄警官 緊迫の“舞台ウラ”を激白(17/05/31)」(ANN、YouTube)hatebu、先日、札幌での宝石店強盗未遂犯を捕まえたおまわりさんへのインタヴューから。高校時代陸上部で1500メートルを専門にしていたとはいえ、身につけた装備が8キログラムともなると、ダッシュをダッシュとはなかなか傍から見てもらえない辛い追跡になっちゃう。ホントにご苦労様。

日頃の巡査さんを見る目もちょっと変わってくるな、というか日常的に目にしていることでも、全然知らないことってのは歳を喰っても尽きることがないな。いやはや、やれやれだ。


その他、書くほどのことはないですかね。

あぁ、小論文の添削のあり方について、少しまとまった記事、書いたほうがいいんだろうなぁ、添削って毛を吹いての粗探しぢゃないんだからさぁ、と思う折アリ。ここで書いたところで、世間様にどれほど影響を及ぼし得るかと思うと書く気力が萎えてしまうのだけれど。まぁ、またそのうち自己満足程度にいっちょ、改めて。


このところの喫煙所・信号待ち本サイデンステッカー『東京 下町山の手』(ちくま学芸文庫)、なかなかおもしろくて所用のたびに持ち歩いてはゆきつもどりつ読んでいる。

たとえば、谷崎潤一郎の記述からの引用。箱根に滞在中に関東大震災の知らせを受けた折のことを思い出してのものなのだけれど……

ラフカデイオ・ハーンは、人は悲しみの絶頂にある時に見たり聞いたりしたことを生涯忘れないものだと云つた。だが私は又、人はどんなに悲しい時でもそれと全く反対な嬉しいことや、明るいことや、滑稽なことを考へるものであるやうに感じる。なぜなら私は、かの大震災の折、自分が助かつたと思つた刹那横浜にある妻子の安否を気遣つたけれども、殆んど同じ瞬間に「しめた、これで東京がよくなるぞ」と云ふ歓喜が湧いて来るのを、如何ともし難かつたのである。……サンフランシスコは十年を経て前より立派な都市になつたと聞いてゐるが、東京も十年後には大丈夫復興する。そして、その時こそはあの海上ビルや丸ビルのやうな巍然ぎぜんたる大建築で全部が埋まつてしまふのである。私は宏壮な大都市の景観を想像し、それに伴ふ風俗習慣の変革に思ひ及んで、種々な幻影を空に描いた。井然せいぜんたる街路とピカピカ*1した新装の舗道と、自動車の洪水と、幾何学的な美観を以て層々累々とそゝり立つブロツクと、その間を縫ふ高架線、地下線、路面の電車と、一大不夜城の夜の賑はひと、巴里パリ紐育ニューヨークにあるやうな娯楽機関と。……さう考へた時、復興後の東京の諸断面が映画のフラツシユの如く幾つも幾つも眼前を掠めた。夜会服と燕尾服やタキシードとが入り交つてシヤンペングラスの数々が海月くらげのやうに浮游する宴会の場面、黒く光る街路に幾筋ものヘツドライトが錯綜する劇場前の夜更けの混雑、羅綾らりよう繻子しゆすと脚線美と人工光線の氾濫であるボードヴイルの舞台、銀座や浅草や丸の内や日比谷公園の灯影に出没するストリートウオーカーの媚笑、土耳古トルコ風呂、マツサーヂ、美容室等の秘密な悦楽、猟奇的な犯罪。いつたい私は、さうでなくてもいろいろ突飛な妄想を描いて白昼の夢に耽る癖があるのだが、これらの幻が実に不思議にも、妻や娘の悲しい俤の間に交つて、執拗に纏綿するのであつた。

「東京をおもふ」

とは、大先生、「しめた、これで東京がよくなるぞ」の果てが「猟奇的な犯罪」ですかぁ。どこが「よく」なりますねん、ってなもん。大作家ともなるといつなんどきとても、フィクションの方へ思考がハミ出してゆくものだ、とか何とか云っておけば、とりあえずもっともらしい感想にはなるのかもしれないけれど。ホントにそんなもんなんですかね?

というようなのは本筋を離れた戯けた読み具合なんだけれど、いろんなレヴェルの記述が絡んでいるのが本書の魅力であって、読者に《いろいろ突飛な妄想を描いて白昼の夢に耽る》ことを許す懐の深さ広さが備わっているんだから、まぁ仕方ありませんね\(^o^)/


立ち読み課題図書、その他

東京 下町山の手 1867-1923 (講談社学術文庫)
エドワード・サイデンステッカー
講談社
売り上げランキング: 394,630

僕が読んでいるのはちくま学芸文庫版だけれど、今ならこちらのほうが入手しやすいと思う。僕もこちらを購入して、で、酔っ払ってどこかに置き忘れたのだけれど\(^o^)/。学芸文庫版は古書店にて安価に落手。


東京 下町山の手 (ちくま学芸文庫)
エドワード サイデンステッカー
筑摩書房
売り上げランキング: 45,387

表紙カバー絵はこちらのほうがいい感じ。


ネコがメディアを支配する -ネットニュースに未来はあるのか (中公新書ラクレ)
奥村 倫弘
中央公論新社 (2017-05-08)
売り上げランキング: 31,160

タイトルの勝利、だけれど、何となくタイトルだけで中身の想像がついてしまいそうな。とはいえ、読むかな。


私のつづりかた: 銀座育ちのいま・むかし (単行本)
小沢 信男
筑摩書房
売り上げランキング: 158,579

2月に出ているはずなのだけれど、ご近所では未だ御目文字叶わず…(;´Д`)ウウッ…


バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)
前野ウルド浩太郎
光文社 (2017-05-17)
売り上げランキング: 194

ご近所では御目文字叶わず。やっぱり大和川を超えて北上しないとダメかなぁ。ご近所にもあるチェーンの書店、高野線沿線の支店では『ビニール傘』が全滅だったしぃ。

中学生時代、『現代詩手帖』と出逢えたのは、一番近所の書店だった。そこ、今ぢゃどこぞのネット書店の配送所に成り下がって立ち読みなんぞ出来やしない。ちょっとどうにかならんもんか、出来んもんか。う~ん。


  • 注1【引用者註】原文での表記は「ピカ」と「く」状の繰り返し記号。以下同様。


最終更新日時 : 2017-05-23 01:28:16  

食通でも何でもないのでこのへんまったく自信などないのだけれど、どうなんだろう。東京ではホントにこういうの、ないんだろうか。


幼い頃、普通の蕎麦屋でを喰った折にはたいていうずらの卵はついてきていたような気がする。上京しての学生時代以降、ほとんどまともな蕎麦屋で喰ったことなどなかったが、その場合、うずらの卵を見かけた記憶はない。蕎麦屋だろうがコンビニやスーパーのザルとは無縁のざるそば、もりそば、いずれもだ。一度、鶏卵がついて来て驚いた記憶があるにはあるが、あれはいつどこででだっただろう。宿院近くの「ちく」だったかな*1。旅行することもまずめったないので、他の地方ではどうなっているのかさっぱり知らない。


というわけで、ググってみることになる。

「知恵袋」界隈でも、おぉ、やっぱり話題になっているのだけれど、いかにも信用できなさそうな雰囲気の漂っている回答が多いなぁ。喰い物となると地方・地域でいろんなヴァリエーションがあっても全然おかしくないはずのところ、卵が入れば月見そばだからそれはもうざるそばとは云えないと断言してしまうようなタイプの回答もあって、言葉と喰い物、扮装の類は素人*2の知識で推し量る危うさを改めて感じたりする。とか何とかいいつつ、自分では推し量っちゃうわけだけれど\(^o^)/

結局テケトーに信用のおけそうなリファレンスサイトを当たり直してみると、なるほどそういうことならありそうだというのが、「鶉蕎麦(うずらそば)とは」(コトバンク)hatebu。『日本の郷土料理がわかる辞典』(講談社)と『和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典』(講談社)とからの二つ記述が掲載されているが、いずれも同じ文面。

大阪に本店のある和食店「美々卯(みみう)」の名物料理で、うずらの卵を2個添えたもりそば。◇1925(大正14)年に美々卯を創業した薩摩平太郎が考案したものとされ、後に「うずらそば」として商標登録した。関西では、もりそばにうずらの卵を添えることがよくあり、そばつゆに混ぜて用いる。

ただし、美々卯のサイトに当たると

大阪の蕎麦の名店『美々卯』を代表するメニューは、「うずらそば」です。

ふわっと湯気のたつ“あつもり”の蕎麦を、うずらの卵を入れた蕎麦つゆで味わいます。

温かい蕎麦から立ち上る香りと、出汁の味、うずらの卵の味が一体となり、至福のひとときを過ごしいただけます。

美々卯 本店 -蕎麦Web-hatebu

と、通常の冷のもりそばではないらしい。喰ったことないなぁ。

でもまぁ、「美々卯」が起源となって大阪を中心にざるそば、もりそばにうずらの卵を添える習慣が広がったのだろう、というような見当は立つ。

ちょっと気になるのは、薩摩平太郎は美々卯を開業する前に、上にちらりと名前をあげた「ちく満」で修行していたはずだというあたり。ひょっとすると、うずらそば考案以前からちく満では鶏卵を添えていたということはないだろうか。

最初に考えついたのは「うずらそば」だったという。これは現在も、『美々卯』を代表する商品のひとつになっている。大阪の老舗蕎麦店『ちくま』と交流があり、そこの蕎麦に影響を受けて考案した。

虎視眈々--そばの散歩道hatebu

引用中の《『ちくま』》は「ちく満」のことだろう。どういう影響を受けてうずらを添えるに至ったかという肝心のことが書かれていないから確言は出来ないけれど、どうかなぁ。別に地元だからというアレぢゃなしに堺の「ちく満」の鶏卵が「美々卯」でうずらの卵に化けたというのはありそうな気がするんだけれど。どうですかね。


値段の高いのにも驚いたのだけれど、「日本職人が作る」のに「並行輸入品」とはこれ如何に?


日本職人が作る  食品サンプル パフェ ざるそば IP-375
イワイサンプル
売り上げランキング: 853,498

「この商品は現在お取り扱いできません」になっちゃっているのはさておき、これ実際に喰える現物はあるのかしら? 目玉焼きだか温泉卵だかみたいなのが載っかっているぶん、余計に気になるぞ。


  • 注1 司馬遼太郎『街道を行く』中の堺に触れたあたりでもちく満についての記述が登場する。僕はさっぱり知らないのだけれど、元禄時代創業とかでかなり有名な店らしい。
  • 注2 生半可な「プロ」も含む。


最終更新日時 : 2017-05-20 18:31:18  

「超越的接客」というようなものを妄想しようとしてみるのだけれど、なかなかむずかしい。接客となると「経験的接客」くらいのほうが良いのではないか。


ちょっと前には、『Transcendence』hatebuなんちゅう何となく趣味の悪そうな映画もあったし*1、今仕事で取り組んでいる問題のやけに脇の甘い課題文にも「超越」が顔を出すし、面倒な話をし始めると3分に一度は「超越」を口にせずには済まない*2呑兵衛さんもそういえば信濃路にはいらしたし……そんなこんなの「経験」からすると、やっぱり接客には「超越」は向いていないのではないかという気がする。


トランセンデンス [Blu-ray]
ポニーキャニオン (2014-12-02)
売り上げランキング: 49,850

一体どんな邦題がつくんだろうと思っていたら、まんまのカタカナ英語ですか。

アマゾンで「超越」を検索してみると、カント先生は超越というより超越論、傍に置くとしても結構な数の新商品の類に出喰わす。やっぱり最近は「超越」が静かなブームを呼んでいたりするんぢゃないだろうか。「超越」が表に顔を出さないカードゲーム商品がむやみに数多いんだけれど、どうなってるんだか。


バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)
前野ウルド浩太郎
光文社 (2017-05-17)
売り上げランキング: 56

本エントリとは関係ないけれど、これは買わずばなるまい。

例によって近所の書店に見当たらず。大和川を超えて買いに出かけるか、アマゾンで注文するか。只今思案中。


  • 注1 見てないまんま予断でモノを申しております。相済みませんm(_ _)m
  • 注2 多少の誇張、なきにしもあらず。でもまぁ、誇張は「多少」の範囲に収まっていると思う。

最終更新日時 : 2017-05-16 03:45:10  
20090613164310

碍子と話すカラス、2009年亀戸

ホントに話していたわけはないに違いないのだけれど、しかし10分ほども続いていただろうか、ずっと電線のほう、たぶん碍子あたりに向かって奇妙な抑揚に富んだ声で断続的に啼いていたのが、何かを話しているようにしか感じられなかったことを覚えている。

世の中では、

というような真面目な研究も行われている*2。聞くところによれば、縄張りを持たない若い時期には集団で生活するということでもあるし、碍子相手では無理だとしても少なくとも仲間内で通じ合うことくらいは、啼き声によって、つまりはヒトで云えば話し言葉みたいなものによって可能なのだろう。

話し言葉があり得るのであれば、書き言葉はどうか。もちろん、カラスが文字を書くわけはないのであって、あり得ないに決っている。決っているのだが、先日「『カラス侵入禁止』警告文、なぜか効果 東大の研究施設」(朝日新聞デジタル)hatebuなどという報道があって見出しを見たときには少々驚いた。

記事によると、研究施設の天井パイプ断熱材が、カラスに巣材として毟り取られる被害に悩んでいた折のこと、カラスの専門家に相談して付近に「警告文」を出すことにしたというのである。

センター職員から相談を受けた佐藤教授も決定打がなく、知人で「カラスの専門家」の宇都宮大「雑草と里山の科学教育研究センター」の竹田努研究員(環境医学)に相談したところ、「警告文を出してみては」とアドバイスがあった。

佐藤教授は「冗談だろう」と思ったが、試しに警告文をつるしてみると、カラスはすぐ来なくなった。一時的かと思われた効果も長続きした。

とのこと*3。記事に上げられた写真を見てみると「カラス/侵入禁止」という2行をB4くらいの厚紙に大書きしたものが写っている。これが「警告文」であるとすれば、カラスは言葉を書くことが出来なくても読むことなら出来るのか。

もちろん、そんなわけはなく、

竹田研究員によると、警告文を目にした職員や学生がカラスに視線を向けたり指さしたりすることで警戒して寄りつかなくなる、ということらしい。「不思議に思って、みんな空を見るでしょ」

というわけで、なぁんだ、ってなもん、毎度現実はつまらないものなのだけれど、計算が出来る動物芸とか音楽に合わせて踊る鳥とかが実は飼い主の符牒に合わせて行動しているにすぎないとかなんとか云うような話を思い起こさせるもので、それなりに説得力のある仮説であるように思える。もちろん、この仮説の正しさを確かめるには、警告文を「カラス歓迎」やただの白紙などに替えて試すような対照実験や、実際にその「警告文」を見たヒトの行動とカラスの反応の観察、あるいはまたカラスがヒトの視線にすっかり慣れちゃっているかもしれない人口密度の高い地域と過疎地域での効果の比較等々その他いろいろ etc...も必要となるだろうけれど。「歓迎 カラス様御一行」で大挙してカラスの群がやって来たらばよほど面白いんだが、そうはいかんかなぁ。

しかし、仮に正しいとして考えてみると、これは何か厄除け・魔除けの御札を連想させる事態であると云えそうな気がして来ないでもない。

というのは、

「カラス侵入禁止」警告文、なぜか効果 東大の研究施設:朝日新聞デジタル

鳥獣の害に対して人語の立て札を立てると来なくなるいう話が江戸時代の随筆にあったが、ひょっとしたら同じ理屈なのかもしれない。

2017/05/12 15:11

という、「与太」ではお馴染みのmachida77さんのはてブコメントを読んでの思いつき。

そういう、謂わば生活の知恵、経験則みたいなものが相当の昔からあったとすれば、機序はわからぬまま形式的にそれを模倣する者も現れて来るんぢゃないか。で、害鳥獣以外にも転用されて、ヒトを困らせるもの一般へもうっかり拡大応用されてゆく。神仏の権威なり言霊信仰なりのお陰様も手伝って、鳥獣けとはずいぶん趣の異なる魔除け・厄除けの御札に化けたとしても、さほど不思議な話だとは思えない。買った方はどうだかわからないにしても、売りに出した方ばかりは、霊験アラタカしっかり儲かるという次第で、まったくもってめでたしめでたし。


とまぁ、そんなこんなで、

浅草寺雷除け、2013年10月

浅草寺の雷除け

を手に入れてからというもの、落雷による感電大火傷の類は一切経験していないのですね。手に入れる前はどうだったかなぁんて知ったことぢゃないですけれどもぉ\(^o^)/


カラスの教科書 (講談社文庫)
松原 始
講談社 (2016-03-15)
売り上げランキング: 10,678

僕は単行本の方でしか読んでいないので内容の異同はわかんないけれど*4、まず読んで面白くないはずはないと思うなぁ。



最終更新日時 : 2017-05-28 20:33:48  

先日の「ここのところの復旧更新状況/謎のポーズ」hatebu冒頭で取り上げた疑問について、

別冊 日々の与太 » ここのところの復旧更新状況/謎のポーズ

王・王妃などに跪く礼法ですね。http://www.traditioninaction.org/Questions/B289_Chartres.htmlに少し説明があります。以前、象までこれやってました→http://topnews.one/index.php?newsid=7003

2017/05/12 23:19

とのご教示を賜る。

儀式みたいなヤツで王族に対して採られるポーズであるから、礼法の類であることはさすがの僕でも見当はつくのだけれど、象であっても礼法を守らねばならぬ(ときもある)というのはまったくもって、タイの生物は、ヒトも含めてご苦労様である。


この件のポーズがおもしろいのは、寝転がって肩肘つきながら酒だか茶だかをがせているというふうにも見え、そういうふうに見てしまうと日本的な礼節からすればむしろゾンザイな態度で接しているとしか感じられなくもないのだけれど、しかしこの姿勢からであれば、凶器武器の類を振りかざして襲いかかるというわけにはなかなか行かないわけで、目下のものを寛がせるかのように見せながら、実は生殺与奪の権を手中に収めているのは王族の側だというあたり。


遠い昔、謁見の際に王を暗殺して新たにその座を得た誰かが、自分ばかりはそういう目に遭いたくないと案出したのがこのスタイルだ、なんちゅうことを妄想したりする。

「これまでの謁見では、正座に土下座の辛さが臣下の者たちには不評だった。暑い最中にしんどい思いをし続けてきたことが、何を隠そう、実は我輩が王を倒そうと考えたそもそもきっかけでもあったのぢゃ。辛い思いをさせつつ、両手の自由を臣下に残しておいたのが旧王の迂闊なところ。ジャングルの奥深くでしびれを切らさぬ修行を積んだ上で臨んだ謁見の儀、懐に潜めた刃物で見事にあのうつけ者の王を討ち果たしてやったわ。

しかし、あのうつけ者の王と同じことを繰り返しておったのではいけない。謁見の儀の作法を改革することなくしては我が王朝の安泰もないのぢゃ。身分の上下をはっきりと形に表しつつも、臣下に苦痛を与えること少なく、かつ両手の自由を奪って我が身の安全を確保する礼法を確立するには、さて、どうしたものかのぉ」

と、長い思案の果てに編み出されたセキュリティ万全の作法が、件の寝っ転がっちゃうスタイルなのである。そのような来歴を知る者にとっては、象を寝転がらせるような真似は、まったくもって笑止千万、ただ王族の安全を守るという作法の由来を都合よく隠蔽する技というしかないのである。


なんてなことはまずないのだろうけれど\(^o^)/。でも、何かそういう由来を語る伝説みたいなものが残っていたりしないものだろうか。まぁ、残ってないかぁ。


リアルぬいぐるみ アフリカゾウ ねそべりシリーズ
カロラータ
売り上げランキング: 57,838

やっぱり耳の大きさの面白さといえば、アフリカゾウになっちゃうのかな。インドゾウの類となると生真面目な小さいフィギュアはあっても、こういうかわいいぬいぐるみは見当たらない。アフリカゾウなら、生真面目なフィギュアであっても、

というような無茶なヤツだってあるのにな。ざっと260万円、送料が関東へのもので10万円。アマゾンの奇妙な高額商品、例によって例の如しで、カスタマーレビューが22件にのぼっている。君らホントにうたんかい。一応売上げランキングがついているから、中には一人二人購入者がいるのかもしれないのだけれど。



«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 148 | 149 | 150 || Next»

最近の記事


コメント


カテゴリー一覧
すべて
borujiaya
お知らせ
ことばをめぐるよしなしごと
ごあいさつ
すべてが「その他」であるような宇宙
ぼんやりと
やっぱり猫が好き
アートとかデザインとかそのへん
カルチャーっぽいもの
コミュニケーション
メイル
備忘録
僕自身のためのコンピューティング
入試小論文
単なる思いつきで深い考えはございません
堺散歩
小津安二郎
折々のリンク
散歩
文章讀本
日々のうだうだ
日々の与太
日々の埋草
映画
書く
総合
考える
自作自演
自然科学・科学技術とその界隈
訃報
読む
読書・本屋さん
象牙の門、角の門
音楽とか


検索
リンク
極私的脳戸栞
twitter


searched phrase

 ranking

 recent

vittorio camardese
本日のギター/1965年のタッピング
Google - 17/06/06 12:53:39
ユメノ銀河
本日のBGM/Arve Henriksen - Opening Image 他
Google - 17/05/24 02:15:17
ユメノ銀河
本日のBGM/Arve Henriksen - Opening Image 他
Google - 17/05/24 02:14:42
ヒカル ユーチューバー 家島
折々のリンク/2016年4月15日
Google - 17/05/21 19:56:47

Powered by Nucleus CMS

カウンタ
3606473 (7D:25182 Y:3727 T:621) [Mode]
 
別冊 日々の与太