«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 137 | 138 | 139 |...| 157 | 158 | 159 || Next»
最終更新日時 : 2015-10-19 23:28:11  

いつぞやの、相変わらず全然知らないレーベルさんの、全然知らないアーチストさん。2013年の作品。どうもこれがまとまった最初のリリースということらしい。

変拍子がどうのこうのというよりも、なんともいえない微妙なノタクサ感がいいのかなぁ。

  • Aurelian はてなブックマーク - Aurelian

    Facebookのアカウントページ。現在*1のところ、2014年7月5日が最新更新。

  • Aurelian はてなブックマーク - Aurelian

    bandcampのアカウントページ。現在*2トップページからでもSoundcloud同様、アルバム全体の試聴が出来る*3。ってだけぢゃなくて、Amazonその他のネット通販サイトでは売り物になっているはずの、1曲目「All Been Here」が"FREE Download"ってことになっちょる*4。ヲイヲイ(^_^;)


Soundcastles
Soundcastles
posted with amazlet at 15.10.19
Lydian Label (2013-08-29)
売り上げランキング: 192,045

MP3版のみ。

アマゾンのカテゴライズによると、「ダンス・エレクトロニカ」ということになるらしい。近頃の若い衆は、こういうケッタイなリズムで踊るのですかい。まったくもってご苦労様である。




最終更新日時 : 2017-05-01 21:48:55  

昨日と同じ全然知らないレーベルさんの昨日とは違う全然知らないアーチストさんのアルバム。

昨日のより短いのがBGMとしての難点か。しかし、眠気覚ましにはなっても耳に障らないのは昨日と同様、BGMには好都合。相変わらずアーチストさん的には褒め言葉になっているかどうか怪しいのだけれど。うーん。


Turning Tide
Turning Tide
posted with amazlet at 17.05.01
Lydian Label (2014-02-10)
売り上げランキング: 251,319

MP3版のみ。




最終更新日時 : 2015-10-20 13:54:02  

全然知らないレーベルの全然知らないアーチストのアルバム。

ほどほどに尖っていて眠気覚ましにはなっても耳の邪魔にはならない、といったらアーチストさんへの褒め言葉になるのかどうかちょっと怪しいけれど、そんなこんなでワタクシ的には BGMにうってつけかな。


SoundCloudのプレイヤにリピートがあれば、BGMに使いやすいんだがなぁ。

  • Musicbox | Lydian Label はてなブックマーク - Musicbox | Lydian Label

    軽くググッただけだとプロジェクトについての情報は皆無に近い。かろうじてレーベルのページがあるくらい。あ、上のSoundcloudのページにもありますね。おっとっと。

  • Musicbox はてなブックマーク - Musicbox

    Facebookのアカウントページ。Lydian Collectiveの宣伝ばっかりになっておる。


Three Phases
Three Phases
posted with amazlet at 15.10.20
Lydian Label (2013-12-16)
売り上げランキング: 130,182

MP3版のみ。



最終更新日時 : 2015-10-21 01:44:52  
20140430160822

大阪市内から河内長野までとなると、たしかに国道310号線はわかりやすいルートであるには違いない。けれど、3.11の折の都心の混雑を目にした者からすると、310号線はまだまだ歩いて帰宅するには問題の多いルートということになるんぢゃないだろうか。

僕自身は、堺・狭山の境界から一条通あたりまでしか続けて歩いたことがない。その限りでも、歩道が細い、ほとんどないといってもいいくらいのところもそれなりにあったりする。車道は震災の規模によっては通行止めになってかえって歩行による帰宅にうってつけになるという可能性だってあるけれど、もし3.11の折のように渋滞で車もロクに動けないというような状態になれば、歩行帰宅のヒトビトの疲労はたぶん相当なものになるだろう。並行する旧街道や裏道にもなにがしかの案内が欲しいなぁ。現状では、帰宅難民さんどうしの喧嘩悶着くらい簡単に起こりそうだ。

「支援ルート」というからには、ただここを歩けというのではない、なにがしかの支援があるのかもしれないけれど、まぁたいへんだろうなぁ。食料調達にしたって都内ほどのコンビニがあるわけではないし、食堂・ファミレスの類が炊き出しをするにしても時間がかかるだろうし、通るであろうヒトビトの数にもよるだろうけれど、瞬く間に食糧は尽きちゃいそうな気もする。こういうときには、堺の公衆トイレの数の少なさだって災いしそうだしなぁ。沿道の商店はさぞかしごった返すことになりそうだ。

といって、今から歩道を広げ、公衆トイレを設けるために沿線の用地買収を始めたり、コンビニエンスストアその他誘致に励んでみたりというような緊迫感やゆとりが沿道にあるかどうか。はてさて。

20140503205618

大小路。津波で想定される浸水と津波避難ビルや避難ルートを示す地図。写真ぢゃ小さすぎてわからないだろうけれど、現在位置で想定される浸水は、0.3m〜1.0m未満。この場所が標高2.5mということは、標高2.8m〜3.5mくらいまで浸水するわけだな。そのくらいなら、周りのビルに逃げ込めばとりあえずは何とかなりそうか。問題はそこで救援を待つのが賢明かどうか。必要なあれこれの備蓄のあるビルならいいけれど、そうでなければとりあえず津波からは生き延びてはみたものの……ってなことになると困る。

地図の右上から中央に向かって引かれているブルーの線が「津波注意ライン」、標高6.8mの等高線ということらしい。ここまで逃げ切れば最悪の場合でも津波には襲われなくて済むだろうということか。そうなってくると、地図でわざわざ色分けまでされて示されていた「想定される浸水」というのは、どういうことになるのかがよくわからない。想定される標準的な浸水であって最悪の浸水ではないということなのだろうか。そうなってくると、仮に標高6.8mで浸水が0mになる計算だとすると、標高2.5m地域だって周りのビルに逃げ込めば……というような暢気なことを云ってちゃマズいって可能性もあるわけか?

もし、「最悪の浸水」がそういうものであるとするなら、いつぞやも取り上げた、

20140504111844

なんて掲示の出ていた浜寺公園あたりなんて、パッと目につくような高い建物も丘も山もないところ、警報が出てからどの程度の時間で津波がやって来るのか、震源が近ければ危ういこともありそうだよなぁ。あっぷあっぷのぶっくぶくぅ.。o○


大阪・堺と津波というとそうそう縁はなさそうにも思えるのだけれど、歴史を遡るとそうでもないみたいだ。 中井正弘『南蛮船は入港しなかった 堺意外史』(澪標) にもそういう話が出ていて*1、複数回、大地震はもとより津波被害のあったことが記されている。嘉永七年=安政元年、要するに1854年の地震と大津波では……。

この11月4日・5日*2両日の大地震は同年6月をはるかに上回り(推定マグニチュード8.4)、『大阪府史』(1989年)によると、大坂三郷では、「潰れ家83軒、土蔵7か所、納屋7か所、土塀9か所、第破損家7か所、道場1か所、潰れ井戸家形2か所、潰れ絵馬堂1か所、死者女2人」であった。さらに、津波の方の被害が大きかった。「天保山の人家は惣崩れ、泉尾新田・今木新田・月正島・木津難波新田・勘介島・寺島・三軒屋などは一面の白波、人家は残らずに流され、死者は数知れず。木津川・安治川口につながれていた千石・二千石あるいは五百石の大船は、逆巻く波に矢よりも速く川へ押し上げられた。今木・難波島にあった北前船も突き上げられ、剣先・上荷・茶船などは押しつぶされ、あるいは大船の下敷きになった。乗り込みの溺死者は幾千人とその数を知らず、川の上へ張り出して建てられた懸け造りの家はもちろん、蔵納屋に至るまで大船に打ち砕かれ、水勢が三方に分かれる大黒橋のところでようやく船は止まった。憐れむべきは、地震中に上荷・茶船の小船に難を避けようとして内川に舟住居をしていた者、また浜側の空地へ逃げた男女老若がこの津波で一人残らず水死したことである。引き揚げられた死体は泥だらけで、誰かれの判別もできず、着物を見て連れ帰り、葬送した。津波による被害は、破損した廻船1121そう、川船22そう、溺死者273人、堕ちた橋10か所、破損した橋1か所、潰れ家3軒、大破損家76軒、潰れ納屋8か所となっている。しかし、水死者や破損した船の実数などは、これを大きく上回ったと思われる。『鈴木大雑集』は、1万そうばかりの船のうち無事だったのは2000で、あとはなんらかの損害を受けたとし、死者の数もおよそ7000人としている。また、他国からの流入者や船頭などの死者はおよそ6000人という数字もある。海にのまれた者も数知れないほどであったから、死者の総数は1万人近いのではなかろうか」と先の『大阪府史』第7巻(1989年)は述べている。

中井正弘『南蛮船は入港しなかった 堺意外史』(澪標)、pp.89-90

『府史』と元にした史料との記述の区別が不明瞭なんだけれど、とんでもない被害があったことは充分わかる。元史料(たぶん)の語る津波の押し寄せ引いてゆくさまは、3.11関連報道映像のおかげもあって、なんだかありありと想像できてしまう。

『南蛮船は』には堺に残された史料の紹介もあるがそのあらましは、同著者による「安政の大地震・津波と神明擁護璽 堺意外史 Vol.32」(ツールド堺) はてなブックマーク - 堺意外史 Vol.32 ~ ツールド堺 ~で部分的だけれど確認できる*3

さて、大津波警報が出たら、どう振舞うのが賢明なのかな。三国ヶ丘を目指して走り続けるしかないのかな。うーん。


参考文献、みたいな

南蛮船は入港しなかった―堺意外史
中井 正弘
地方・小出版流通センター
売り上げランキング: 751,906

堺市博物館の副館長を務めた方のご著書。タイトルが「意外」過ぎるからといって信用出来ない種類の本だと即断しないように。


  • 堺意外史バックナンバー一覧 ~ ツールド堺 ~ はてなブックマーク - 堺意外史バックナンバー一覧 ~ ツールド堺 ~

    ここのところ割と参照しているのに、一覧を紹介してなかったな。

  • 津波避難対策について 堺市 はてなブックマーク - 津波避難対策について 堺市*4

    ここで紹介されている「堺市津波避難計画」は必読。「津波注意ライン」、エントリで想像していた通りといってほぼ良さそう。標高6.8mがラインに設定された由縁は5ページに登場している。ただし、避難路の地図その他はモバイルでGPSが使えるとかでないと、土地勘のない、あるいは薄いヒトや夜間、結構不便かなぁ。

  • 大阪府/地震防災アクションプログラム はてなブックマーク - 大阪府/地震防災アクションプログラム

    「徒歩帰宅者支援ルート」についての説明も登場する(pp.43-4)。それによると《●災害用マンホールトイレ/災害時にトイレを使用できるように特殊な災害用マンホールを設置し、その中に、トイレ用テント、便座などを備蓄します》とある。防災用マンホールは、ページにある写真を見るかぎり、歩道に設置されるもののようだ。310号線の狭い歩道にどれくらいそういうものを設置できるのだろうか。通行の邪魔にならないように設けるのは結構たいへんぢゃないだろうか。うーん。

    それにしてもなぁ、リンク先ページ、目次くらいの内容がわかるようにHTML化しておいてくれれば目的のPDFにさっさと辿り着けるのに、なんでそんなところで手抜きをするかなぁ。ぶー。


  • 注1 pp.83-91
  • 注2 原文縦書き、漢数字表記。以下同様。
  • 注3 実は擁護璽の碑文と瓦版の内容には矛盾があって……という話もあってそこがまたアレなのだけれど、そのへんは『南蛮船は』で各自確認されたし。
  • 注4 本エントリ復旧に際してリンク先を2015年10月21日現在最新のものに変更した。

最終更新日時 : 2017-08-15 03:11:19  
本願寺堺別院

本願寺堺別院

本願寺堺別院hatebu*1。場所の確認は、「Honganji Sakaibetsuin」(Google Maps)hatebuからどうぞ。

本願寺堺別院、山門前脇

本願寺堺別院、山門前脇の碑

山門前脇。また明治天皇かぁ。

本願寺堺別院、山門前脇

山門前脇碑の側面

上の碑の側面。「堺縣廳址」、つまり「堺県庁跡」。ここはかつて堺県庁として使用されていた。

この碑、昭和8年に建立されている。紡績所跡のが昭和15年*2。この時分、明治天皇関連の碑をあっちこっちに作るのが何かの政策になっていたのかしら。と書いてみると、時期が時期だもんな、なんだかどこかでそんな話を目にしたことがあるような気が、唐突にして来た\(^o^)/


堺別院そのものについては、「本願寺 堺別院について」(浄土真宗本願寺派 本願寺堺別院)hatebuなど参照されたし。ここで気にしたいのは《1871年 堺御坊、堺県の県庁となる(〜1881年)》とあるところ。71年は廃藩置県の年だから、そんなもんか、と見過ごしてしまいそうなところだけれど、堺県そのもの、実は1868(明治元)年6月から旧幕府領・旗本領管轄のために設けられていた。

教科書では、廃藩置県は明治4年と教える。しかし、明治維新直後、旧幕府領はただちに府県として明治政府の直轄地とする。天領(幕府領)だった堺と周辺がまず堺県となり、順次、周辺部や旧藩領を吸収し、明治9年には、大和(現・奈良県)一円も含めた大きな県になった。

中井正弘「堺意外史 Vol.2214年続いた堺県/痛手だった大阪府への編入」(ツールド堺)hatebu

そうすると、「県庁」という名前がどうだったかはさておき、何らかのお役所は71年以前からあったはずで、そいつはどこにあったのかというのがちょいとわからない。堺奉行所跡に「旧堺市役所跡」みたいなのが併記されていた記憶があるから、そのへんだったのかな? しかし、行政区画としての「市」って廃藩置県以前に存在したのかしら? それとも「市」とあるのが間違いで、本当は「堺役所」とかそんな名前だったのだろうか?

明治元年6月から、権判事として大阪府下の堺役所に常駐していた小河一敏おごうかずとしは、明治2年の版籍奉還で正式に堺県の知県事になります。この版籍奉還というのは、旧藩主を知藩事に任命しなおしただけという面もありますが、旧徳川径から知行地を没収する役割もあり、堺では6月22日に大阪府の中から和泉国をさいて正式に「堺県」が誕生し、小河知県事が誕生したのです。

桧本ひのもと多加三たかぞう『堺・歴史の枝折しおり』(堺商工会議所)、p.3

こういう記述を見ると、やはり「市」はなかったのだなと思えても来る*3

明治4年……(ざっくりと中略)……。それまで、堺奉行所跡に置かれていた県庁けんちょうも、西本願寺堺別院(きたのごぼう北の御坊さん)にうつりました。

別所やそじ、尼見清市『むかしの堺』(はとぶえ会、1976年)、pp.174-5*4

堺県の拡張と消滅

堺県の拡張と消滅*5

「県庁」という言葉が当てられているけれど、「堺役所」とあった名称とどちらが正しいのだろう。両方の名前が用いられていたのかな。そこいらへんはわからんちんだけれど、まぁこの件はこのへんでとりあえずほどほどにということにしておくか。要はごちゃごちゃ大変な時期でしたっということで。明治元年に堺県は設けられ、堺役所だか堺県庁だかは、まず堺奉行所に置かれた。たぶんそういうことだろう。で、廃藩置県に伴って本願寺堺別院に堺県庁として移された、っと。

ただし、明治元年の時点での「堺県」はどれくらいの地域を指したのか、堺史初心者にパッとわかる資料がネット上には見当たらない。たぶん、現在の堺市堺区[ググる!]程度のものなのだろうと漠然と想像しているんだけれど、どうなんだろう? その後、堺県はどんどん膨れ上がって、すでに引用文献中でも触れられていたように、現在の奈良県までをも含むようになる。

右の図を見ればわかるけれど*6、なんだかずいぶん性急にデタラメに統合が進んだって感じだなぁ。言葉だけではわかりにくいなら、「堺県」(Google Images Search)hatebuでテケトーな地図を見ると、現在の奈良県を含む堺県の版図の馬鹿げた広がりがよくよくわかる。だだっ広いのは何となくおバカな自尊心みたいなのをソソるところがあるけれど、山を越えないとイケないような広がりは実際のところひと括りにしたって面倒が増えるだけのような気がするんだが、当時は一体何を考えていてこうなっちゃったんだろう。あんまり真面目に考えてなかったんぢゃないかとついつい勘繰ってしまう。ホントのところ、どのくらいの広がりが適切なのか、江戸期までの行政経験ではわからなかったということなんだろうか。うーん、謎だなぁ。

本願寺堺別院本堂

本願寺堺別院本堂

この写真だとスケール感が全然伝わらないけれど、前に立つといくらか圧倒されるくらいの感じ。木造建築物としては堺最大、大阪府有数ということなのだそうな。大阪府だとあと四天王寺かどっかなのかなぁ、デカいの。

本願寺堺別院本堂

本願寺堺別院本堂

仕方がないので引いたところからせめて全体像っぽいのを。本堂前の銅像は、右が親鸞、左が蓮如。「蓮如上人五百回遠忌法要記念」ということで、1994(平成6)年に建立されたもの。まだ新しく見えて周囲に溶け込んだ感じがしないのが残念。彫刻であれば、近代以前のものでも所謂「写実」に近い表現のものって結構あるけれど、こういう像を見るとやはり全然ことなる様式なんだなと感じないわけにはいかない。周囲に馴染んだ形と見えるようになるまでには、相当の歳月が必要なのかもなぁ。

本願寺堺別院本堂脇、与謝野晶子の歌碑

本願寺堺別院本堂脇、与謝野晶子の歌碑

本堂脇にある与謝野晶子歌碑。《劫初ごふしよより作りいとなむ殿堂にわれも黄金こがねの釘ひとつ打つ》。『草の夢』(1922(大正11)年)hatebu*7巻頭の歌。「劫初より」というのは大袈裟だなぁと思うのだけれど、「われも黄金の釘ひとつ打つ」というのは何となくいいかな。

「殿堂」が何かの隠喩、藝術なり和歌なりの歴史あたり、「黄金の針」は自身の歌ということになるんだろう。殿堂に比せば釘のように些細でも黄金と輝く、ってなつもりなんだろうか。歌碑の置き場所としては、本堂を「殿堂」と見せたい心が働いているってなところかしら。

1968(昭和43)年の建立。「与謝野晶子の会」によるらしいけれど、どういう団体さんなのか未確認。素直にググってみたけれど、最初の数ページでは見つからなかった。与謝野晶子ほどの歌人になれば、いっぱい関連団体さんってありそうだしなぁ。


本願寺堺別院、あらかじめちゃんと確認しておかないと堺初心者には場所がわかりにくいかも。いや、イマドキ、スマホならGPSでホイホイかな? 改めてエントリ冒頭で紹介しておいたリンクからででも確認されるにしかずかな。


与謝野晶子大全
与謝野晶子大全
posted with amazlet at 17.08.14
古典教養文庫 (2014-03-24)
売り上げランキング: 87,077

Kindle版。ソースがどうなってるのかわかんないけれど、『口語訳源氏物語』をも含む全作品ということらしい。それで200円(2014年2014年5月1日現在)100円(2017年8月14日現在)というのは、うーん、Kindleならではってことなのかなぁ。

「内容紹介」に《与謝野晶子は、1878年(明治11年)に、現在の大阪府堺市(当時は堺県堺区)に老舗和菓子屋の三女として生まれました》とある。なるほど、市はなくてもいきなり区ってことだったのかもなぁ。


悲劇週間―SEMANA TRAGICA (文春文庫)
矢作 俊彦
文藝春秋
売り上げランキング: 639,126

主人公は堀口大學だけれど、与謝野晶子もご登場。



«Prev || 1 | 2 | 3 |...| 137 | 138 | 139 |...| 157 | 158 | 159 || Next»

最近の記事


コメント


カテゴリー一覧
すべて
borujiaya
お知らせ
ことばをめぐるよしなしごと
ごあいさつ
すべてが「その他」であるような宇宙
ぼんやりと
やっぱり猫が好き
アートとかデザインとかそのへん
カルチャーっぽいもの
コミュニケーション
メイル
備忘録
僕自身のためのコンピューティング
入試小論文
単なる思いつきで深い考えはございません
堺散歩
小津安二郎
折々のリンク
散歩
文章讀本
日々のうだうだ
日々の与太
日々の埋草
映画
書く
総合
考える
自作自演
自然科学・科学技術とその界隈
訃報
読む
読書・本屋さん
象牙の門、角の門
音楽とか


検索
リンク
極私的脳戸栞
twitter


searched phrase

 ranking

 recent


Powered by Nucleus CMS

カウンタ
4099144 (7D:25334 Y:3843 T:686) [Mode]
 
別冊 日々の与太